コラム

働き方改革は生き方改革 Ⅱ


日本は豊かな先進国であり,民主的で平和で人が優しい国である。こう日本人である私は思っている。しかし、現実の世界におけるランキングは、私のイメージと少し違う。日本が強いと思われる経済面でも、国としてのGDP(国内総生産)は世界第3位だが,一人あたりのGNI(国民総生産)はいつのまにか20位(2018年)になっている。日本が1位を争うのは平均寿命くらいしか無くなってしまっている。強いと言われる教育水準でも総合教育水準で6位,大学・短大進学率は32位で61.46%、1位の韓国は98.38%、アメリカは94.28%だ。日本はモンゴルやクロアチアと同じ水準になる。現在のような高度化した時代に必要な人材を育てる大学院の進学率は2018年で11%で29位だ。1位はフランスで約39%だ。

また、国民の幸福度は世界で56位(世界149カ国)で主要先進国の中では最下位,男女平等ランキングでは121位(153カ国)、これも先進国ではダントツの最下位だ。多くの国民は、日本は豊かな国と思っているが,現実は違うのだ。日本は相対的な世界の貧困率ランキングでは実は15位である。普通に考える場合の貧困のイメージは途上国での映像で見るやせ細った子供達をイメージするが,今世界で起こっているのは相対的な貧困だ。つまり、世帯の所得がその国の可処分所得の中央値の半分に満たない人々を貧困世帯と言うのだ。こういう意味ではアメリカは日本よりもひどくて8位である。アメリカは豊かな人と貧しい人が共存する社会なのだ。日本も1億総中流と言われた時代からアメリカのような金持ちと貧困者が共存する国になりつつある。

ここまで見てくると少しイメージがわく。日本は本来日本人の持っている優しさや寛容性や進取の気質のある国から、何らかの障害によりそれがうまく活かせない国になっているのだ。その障害とは何だろう。私見だが,私は家庭と企業のあり方にその根本があるような気がする。つまり時代は変わってしまったのに、戦後の復興期の考え方がそのまま高齢者を中心とした社会の上層部に継続しているのだ。「遊びなんてとんでもない。男はすべてを犠牲にして仕事に取り組むべきだ」「女は家庭にいるべきだ」「上司のいうことは絶対」など今の世界情勢からすると考えられない思考をする人が社会の中枢に居座っているのだ。彼らも個人的に見るとある意味優しいのだが、判断基準に企業、成績などが個人の尊厳よりも上にくるため他人からみるとパワハラになる。空手の植草選手を竹刀でついた監督も同じなのだ。オリンピックでメダルをとることが最上位になるため、けがをする可能性があることをしても問題ない。これは完全な時代錯誤の考え方だ。これからは青山学院大学の原晋監督のような合理性が必要なのだ。

渕上コラム「変える言葉」