コラム

新時代の多様性


パリ協定に基づく2050年までの「ネットゼロ」達成に向けてのCop26が開催された。11月2日、日本にはその日の温暖化対策に消極的な国として不名誉な「化石賞」が再度贈られた。日本の対応は日本としては現実的な対応ではあったが、海外からは、あきらかに期待を裏切られる対応だったのだろう。

最近思うのは、この気候変動に対してだけではなく、死刑制度、選択的夫婦別姓、LGBTQs、テクノロジーなど社会が大きく変化しているということだ。よく考えてみると、変化が起きない社会などありえない。特にこの気候変動は地球の保護を通じての人類生存にかかる問題ではある。

人類は、常に地球を改造してきた。山を削り、海や湖を埋め立て、大きな建造物を作り、社会をより効率的に改造してきた。私が子供の頃に魚を捕りに行っていた海は埋め立てられ、川は用水路になった。東京や大阪でもゴミ捨て場が埋め立てられ様々な施設が建っている。しかし、どのように改造したとしても、天候や災害は変えられない。地震の発生も火山の爆発も阻止できないし、津波も防げない。2000万年前近くまで日本列島は大陸と繋がっていたし、その後は西日本と東日本はばらばらだった。世界の大陸も巨大な力でくっついたり、離れたりしている。このような巨大な力、つまり自然には対抗できない。自然に対抗できる、自然を変えられるというのは、そもそも大きな過信であり誤謬だろう。

自然は変えるものではなく、柔軟に対応し、適応するものであるということを確認する必要がある。会社の経営を考える時に変えられないものは問題とは言わないと学んだ。例えば、雨が降り続いたり、逆に雨が全く降らなかったりすることは、大変だけども問題ではない。それは仕方のないこと。問題というのは解決できることを指すのだ。解決が不可能なことは問題とは言わない。例えば、東京都の地下に洪水に備えて巨大な水がめ作ったり、江戸に流れ込む川の流れを変えて、利根川に流し込んだり、ダムを作ったり具体的な対応策を考えることが問題の解決というのだ。

私たちの周りには解決できないものが多くある。しかし、仕事や、家族や、友人など解決できる問題も多い。大事なことはあなたがその問題に対して何をするのかということにつきると思う。しかし、私たちは往々にしてあたかも自然災害のように、何もせず通り過ぎるのを待ってしまう。これでは問題の解決はできない。

渕上コラム「変える言葉」