コラム

Go to travel いよいよ


ゴーツートラベルはこれまで批判されてきたが、やっとその効果が出始めてきたようだ。最初は国民も慎重だったが、シルバーウィークの人出や10月1日からの東京参入を考えてみると、コロナがまた爆発的に増加しない限り、これからの効果は期待できると感じている。マスコミや野党は批判をするのが好きだし、結果がすぐでないとまた文句をいうものだが、うまくいったときでも良かったとは言わないのだろう。他の方法の方がもっとよかったのではないかと立証できない話しばかりを言いそうだ。

私がゴーツートラベルを押すのはまず私が大の旅行好きだからだ。好きな旅行をして、安く泊まれる。こんなことはもう二度とないだろうと思っている。しかも都会と違って地方の観光地について今3密はない。そのわけは、特にgo to トラベルに参加する宿泊業者はコロナ対策には必要以上に配慮している。そこが死活問題だからだ。またコロナは基本的に人口密度が関係する感染症であり、東北地方の感染者が少ないのは人口密度が低いからである。山陰地方でも都会から大挙してこなければそう発生するものではない。つまり地方へ旅行することは逆に安全なのだ。

これまでは普段はなかなか泊まれない良い旅館・温泉の予約が割と簡単にでき、かつ安く旅行でき、人出も少なく、コロナの影響もほぼないだろうという事が、今回のシルバーウィークを過ぎて多くの国民に理解されてきた。これからは観光地も秋の観光をきっかけに人があふれてくる可能性は大きい。

国の方針は、最初はとにかくステイホームだった。それが3ヶ月以上続くと、逆にゴーツートラベルで県を超えて旅行しましょうといっても、簡単には気持ちの切り替えができない。その証拠に、私の友人で自治会の会長をしている人と旅行する約束だったが、自治会の上の方から、「他県への旅行は自粛しましょう」と8月末に話しがきたとのことでやめてしまった。年寄りはよく言うと慎重、悪く言うとネガティブなのだ。最初の国の方針を、国が方針を変えても守る。熱中症対策でマスクはいいよと言ってもダメなのはそういう感性だからだ。

コロナの難しいのは、ネガティブな方針の方が受入れられるという事だ。感染症だから2メートルのソーシャルディスタンスをとればそれでOKだ。でも日本人は用心のためとマスクをしている。これを私は、「昔の武士の侍方式」と言っている。10月からが、本当の経済と感染症予防の共存が問われる。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

コロナ下のM&A


コロナは日本で感染者の増加と減少を繰り返しているが、そういう状況下でM&Aはどうなっているのだろうか?実は増えているのである。正確に言うと大型案件は減っているが、小型案件が増えている。最近は県や商工会議所などM&Aの推進により力が入ってきている。売上減少により廃業するなら売って、事業をつなげようとしている。

コロナの蔓延で2つの大きな流れがでてきたように感じる。この流れは企業のあり方や、社員の働き方を変える可能性がある。一つは、テレワークである。これは時間に縛られた、かつ社員の管理を主体とした仕事のやり方を大きく変えるものだ。基本的に日本の働き方は硬直的だ。ピラミッドを主体とした組織運営は時代遅れになっているのだ。日本の企業は江戸時代の参勤交代と同じように、まるで働いている社員のエネルギーをそぐことに注力しているみたいだ。これに対しグーグルなどの企業ではかなりフラットな組織になっていて、働き方も柔軟になっている。日本の多くの企業はコロナが終息すると、例えコロナ中のリモートワークで成果が上がっていても、また前と同じようなスタイルに戻ってしまう恐れもある。そうなると優秀な人材は他へ逃げるだろう。

もう一つの流れが小型のM&Aである。コロナ騒ぎで、通勤という膨大なエネルギーの浪費と、会社のために自己犠牲を強いられることへの抵抗感と、家族という一番大事なものに気づいた若い世代が、自由に仕事ができることをリモートワークで知り、自ら起業するか、小さな企業を買って個人の論理で仕事ができないかチャレンジが始まる可能性はある。はんこ一つでわざわざ往復2~3時間かけて会社に行かせる非論理性に若い人は我慢できない。

コロナ自体は大変な災厄ではあるが、時代というものはこういうものをきっかけにして大きく変化することは珍しくない。南アメリカ大陸のインカ帝国などが、スペインの侵略によって滅びたが、その一因は天然痘である。天然痘に免疫を持つスペイン人が来た事で、免疫を持たないインカ帝国の人の90%近くが亡くなった。それにより国が分裂し、200人足らずのピサロの軍に滅ぼされたのである。余談だが、天然痘以外の理由は、南アメリカには鉄の文化がなく、銃がなかった事。馬がなくスペインの騎馬軍団に翻弄されたこと。もう一つは文字がなく、それまで南アメリカでスペインにより滅ぼされてきた他の帝国の情報が一切はいってこなかったことなどがその理由と言われている。新しい技術はそれまでの社会を覆す。スマホにより世界中に情報が拡散する時代、スマホは継ぎの時代を作る有用な武器なのである。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

目に見えない人は世界をどうみているのか


伊藤亜紗さんという美学者の「目に見えない人は世界をどうみているのか」という本を読んだ。まず伊藤さんの専門の美学という学問があることを知ったのだが、彼女によるともやもやとした、はっきりと説明できないような事柄を明確に説明する学問だそうだ。

視覚障害者は厚生省の発表によると約32万人いるらしいが、身体又は知的な障害のある人の数は2018年の発表では936万人いるらしい。障害者の多くは、自分の障害を個性と捉えている。アメリカでは最近黒人への差別に対してデモなどが行われているし、大坂なおみさんもそのことについて述べているが、黒人、白人。黄色人種も個性だと思う事と、障害も個性だと思うことは基本同じだと思う。つまり、自分と他人との外見上の差を捉えて差別するわけだが、立場を逆にしても同じように思えるのだろうか。私たちが今こうして生まれているのは、単なる偶然に過ぎない。

以前、「人は見かけが9割」という本を読んだ。現実の社会では、人は見かけで判断されるという事だ。それは現実だろうと思うが、これについては教育などによる克服が必要で、人種も、民族も、宗教も、障害者もがグローバルに混ざり合う今世紀の重要課題になるとも思う。人類が克服すべき課題なのだ。

伊藤さんも障害とは何かについてこう意見を述べている。「障害者というと、一般的には『目が見えない』とか、『足が自由である』とか、『注意が持続しない』とか言った、その人の身体的、知的、精神的特徴が『障害』だと思われているが、実際に接して見ると、この根強いこの障害のイメージに強烈な違和感を感じる」と言っている。この意味での障害はその人個人の「能力の欠如」を示すモノで、そのため触れてはいけないものと感じてしまう。しかしこういうイメージは産業社会の発展と共に生まれたもので、労働の画一化により生まれたものらしい。それまでは、障害者には彼らに出来る仕事が割り当てられていたのだ。また障害を笑うユーモアとゆとりもあった。

また最近は見えない人の美術鑑賞という試みも行われている。目に見えない人がどうやって絵画を鑑賞するのか?それは目が見える人と一緒に言葉で鑑賞するのだ。目の見える人はどう言葉で表現して、それを聞く視覚障害者にどう伝えれば伝わるのかを考える。つまり「セッション」を皆で行うわけだ。これにより目の見える人もより深く絵画を鑑賞できることになるらしい。すべての人に前の窓は開いていると感じる。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

コロナの正体


今回はコロナの正体を疫学とは別の視点で捉えてみたい。それはコロナの正体は実は「情報」であるということだ。一つの例として、少し前の高齢者の交通事故の報道が増えた時のことを考えて見よう。この高齢者の重大事故の報道という繰り返し行われる「情報」により、世間の風潮は年寄りの運転は危ないからやめさせようというふうになってきた。しかし、データで見ると、高齢ドライバーの起こす事故は世代別に見てもかなり少なく、若い世代の事故が昔も今も圧倒的に多い。かつ、トータルな事故件数もずっと減ってきている。つまり高齢者の総数が増えたからと当然に交通事故件数は多くなっただけだ。しかし、報道という「情報」により都会に住む子供からは危ないから免許を返してと言われることになる。もちろん返納が必要な高齢者もいると思うが、通常はそうではない。特に田舎では車がないと生活できない。

これからわかることは、テレビなどのニュースなどで取り上げられたいわゆる「情報」が多いと、実態とはかなり齟齬があっても世間はそれを信じて行動するということだ。警察が高齢者の返納を促すためのいわゆる情報操作という可能性もある。マスコミというものは、視聴率を気にする。それと同時に国の意向も忖度する可能性もある。

毎日東京都の小池知事がコロナウィルスについて死者の数ではなく、今日は何人感染しましたとテレビに出て話しをする。それをみる人は感染者数の増減に一喜一憂している。そして地方は何人感染者がでたと大騒ぎする。しかし、少し視点を変えてみると、他の病気で死亡者数ではなく、今日何人感染しました(もしくは発症しました)と毎日報道される他の病気はあるのだろうか。結核(2018年、患者数約17千人、死者数約2300人。ちなみに結核はコロナと同じ指定感染症第2類だ)、癌(2019年は、約38万の死亡予想、約101万人の罹患者数予想)。しかし、あまりマスコミでは取り上げられないと、人々はあまり気にしない。

東京都の8月24日の新規感染者数は95人、全国で493人だ。死亡者数は、東京都で2人、全国で13人だ。一方8月24日までの東京23区の熱中症の死亡者数は1週間で170人だ。明らかに情報量で熱中症よりコロナが多いため、熱中症よりコロナがメインとなり、マスクをしていないと何かいわれるのではという別の不安もあり、マスクをはずしてもよいケースでもつけているのではと推測される。感染すると恐ろしい、他の人にうつす、特に高齢者にうつすのが怖いというが他の感染症も同じだ。またコロナによる死亡者で一番多いのが80代、次が70代、そして90代だ。平均が79.3歳とも言われるが、これって男性の平均寿命だ。つまり、肺炎等の他の病気で死ぬのと同じというと言い過ぎなのだろうか。

ウイズコロナと言われるが、実は似たケースがある。それはウイズカーだ。交通事故による死亡者は1970年に1万6765人を数え、事故件数は100万件に迫っていた。移動によって起こるというところもコロナと似ているが、車に乗らずにステイホームしようという話しはなかった。それでも2019年には死亡者数は3215人、事故件数は約38万件とかなり減少した。車の台数も増えているのに、これだけ減ったのはすごいことだ。減った理由は、道路の整備、罰則の強化(特に飲酒運転)、車両の安全性の向上、人々の安全意識の向上、また高齢ドライバーの増加(普通の高齢者は安全運転である)などがある。また未来を考えてみると、自動運転が現実化すると本当に事故はなくなると思われる。人類はウイズカーという文明の道具とうまく共存できるようになりつつあるのではないかと思われる。

コロナを考えて見ると、「経済を回す」という考えがいま政府の主な考えだ。都市をロックダウンすると、そのコストが巨額であり、何度も実施できず、感染症で死ぬ人よりも経済苦で死ぬ人が増えてきて、国家も運営が難しくなると言うことが分かってきた。とすると、本当にコロナについてもう一度考え直し国民のコンセンサスを得る必要がある。

島根県松江市の高校のサッカー部で90人以上という大量のクラスターが発生した。それにより高校に嫌がらせの電話やらがかかっていると報じられているが、しかし皆が知っているように若い人は元気で症状がない人が多い。8月25日で島根県のコロナ情報を見ると、過去島根県での死亡者は0,現在の重傷者も0だ。そこにあるのは大量の感染者という「情報」だけだ。

これからどうなるか分からないので、専門家も意見は分かれる。従って、より慎重な対応をしなければとなってしまうのはある意味仕方がない。しかしその代償はどちらにころんでも大きいため、もう一度冷静な分析が必要だ。すべての優先順位でコロナが一番になっているようだが、これは違うと私は思う。車の例で話したが、日本人は車との共生を可能にしてきた。怖いのはコロナそのものではなく、「恐怖心」「過度な不安をあおる情報」だ。先日まだはっきりしないがと前置きしてだが、比較的安全と思われる飛行機内での感染報道があった。はっきりしないのならこういう報道こそ控えるべきだ。日本でどれだけの飛行機が飛んでいて、どれだけの乗客が移動しているのか、その中で不確かな1組を報道する。この報道により飛行機で遠方に旅行する人が減る。サーフィンで空気の流れ次第では他のサーファーに感染もありうるといった学者が思い浮かぶ。この「0でない」報道がある限り日本人はコロナを克服できない。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

ウナギトラベル


皆さんはウナギトラベルという旅行会社を知っているだろうか。自分の可愛いぬいぐるみを旅行に連れて行ってもらって、写真を撮ってもらうというサービスだ。多くの人は「何それ!」という感じだろうが、メディアアーティストの落合陽一氏はこれこそ新時代のビジネスのスタイルだと言っている。つまり、すごく狭い範囲での仕事だがオリジナリティにあふれ、ネットで世界を相手にすると成り立つという話しである。

私もそんなばかなことにお金を使う人がいるのかとHPを見てみると、次のような記載があった。「お客様は、ぬいぐるみです。体重は300グラムまでです。申し込み後郵送ください。ぬいぐるみ様に思い出に残る上質な思い出をウナギガイドがご案内し、ウナギカメラマンが写真に収めます。」しかもハワイやソウルなど海外へも出かけている写真が掲載されている。つまりぬいぐるみの旅行代理店だ。しかも申込時にそのぬいぐるみのアンケートをとり、車に酔いやすいぬいぐるみは車の窓際に置き、他の参加者が心配そうにのぞき込んでいる写真を撮ったり、食べ物アレルギーを尋ねたりしている。ここまでこだわることでサービスの価値が高まるらしい。つまり突っ込みどころ満載の写真で顧客同士のコミュニケーションを活発にしているのだ。またファンタジーとリアルを結びつけているのだ。

このファンタジーとリアルを結びつけるという意味では最近のAR(拡張現実)がある。実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することにより、目の前にある世界を仮想的に拡張するというものだ。最近の例としてはポケモンゴーだ。スマホを使ったサービスが多く出てきている。

これに対しVR(仮想現実)は仮想の現実を構築する技術だ。先日テレビでもテレワークの枠にVRの女の子が登場して、他の出演者とのやりとりをAIがやっていた。この世界は随分進歩していて、専用ゴーグルを付ければ、生身の人間がすぐ側にいる気分を味わえるなど、ビデオが登場したときのように普通に浸透していくのだろう。人間の相手は、配慮のない人間ではなくて、相手の気持ちを考えたAIに成るのかもしれない。そうすると、ますます生身の人間同士のコミュニケーションが難しくなる。アトムの世界はすぐそこまで来ている。SFの父といわれるフランス人シュール・ベルヌが「人間の想像できる事は、人間が必ず実現できる」といった事を思い出す。今、少しずつ時代は変わってきている。100年後はアトムの時代か、それともターミネーターの時代か、それとも・・・

渕上コラム「変える言葉」
コラム

敗戦1年の記録


私の父は満州(新京)からの引揚者である。戦争時の事を多くの人は子供たちに話したがらない。なぜなら話すにはあまりに辛い体験だからである。思い出したくないことも多いのだ。父も断片的なことは時々体験を同じくする兄弟で話していたようだが、私に話をしたことはない。しかし、75歳を過ぎて思うところがあったのだろう。「敗戦1年の記録、昭和20年8月より21年9月まで」というタイトルで、帰国の途につくまでのことを本にしたためた。ずっと日記をつけていたらしく、かなり詳しく記載している。今回は終戦記念日も近いのでこれについて述べることにする。

実は、最近引退をした人の間で戦争中の本が売れているらしい。引揚者もそうでない人の子供達にも、親の時代の一つの象徴が満州だった。ラストエンペラーと言われた溥儀は映画でも扱われるほど激動の時代を生きた。実は私も50歳をすぎてから、自分のルーツを訪ねて大連(母の生まれ育った町)、新京(現在の長春)、そしてロシアに近いハルピンを見て回った。そういう旧満州を巡るツアーも人気が高い。

いつも父はロシア人をロスケといって全く信用しないといっていた。その理由は自伝を見ればよくわかる。突然徒党を組んでやってきて、酒、女、そして時計などの金目の物を要求してくる。そして反抗的な態度をとると銃を突き付けられたようだ。自伝でもかなりのページにその顛末を書いている。人間は理屈よりも感情が優先する。ロシア嫌いは死ぬまで続いた。

また、同じ日本人同士でも助け合う人もいれば、地位を利用してうまい汁を吸おうとする人、言うことは言うが、何もしない人など様々な人間模様が描かれている。周りで戦闘が日々行われていても、そこに住んでいる人は日々食うための仕事を探し、寒い冬のための薪を準備したり、暇なときは碁を楽しんだり、たまには牛肉を買ってきてしこたま食べたなど日常の風景が展開されている。

引き上げが近くなって祖父が病気で亡くなるくだりになると、父はしばらく書けなかったようである。昔の人の人間関係は濃い。父は引揚の途中で祖父を無くし、引き上げ後祖母と兄弟4人の面倒を祖父に替わって見ることになる。苦労は人の心を鋼にするというが、現代のような苦労を知らない時代の子供たちはどうなるのだろう。兄弟4人の面倒を最後まで見た父は、兄弟のうち次男一人を残して87歳であの世に旅立った。冥福を改めて祈りたい。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

違和感


コロナは相変わらず感染者の増加が続いているが、テレビの報道で違和感を感じることが多い。まずゴーツーキャンペーンについてだが、最も多い話しは「それ自体は良いのだが、今ではなく、コロナが終息してからすべきだ」という話しだ。それだけ聞くともっともだと思ってしまうが、実はコロナはいつ終息するのかという前提が不明確だ。それにまずコロナはなくならないだろうと言われている。だから「withコロナ」なのだ。

コロナはこれまでのインフルエンザと同じように永遠に終息せずに毎年発生するようになるだろうと言われている。人類が過去に撲滅した感染症は天然痘だけなのだ。そういう状態で終息を待っていると日本の企業のいったい何割が倒産するのだろう。国の税収も半減するかもしれない。そうなると年金、社会福祉などの国のコストなどはどこから捻出できるのだろう。だからこれから人の移動をある程度自由にしながら、どうやれば感染リスクが低く抑えられるのかチェックしながらやっていくことになる。経済より健康第一といっている人の多くは年金生活の高齢者か働いていない主婦達で、自分の生活ができるからそう言っているのだが、将来生活できなくなるとどうなるのだろう。

それに加え注意しないと行けないのは風評被害だ。東北の津波による原子力発電所の放射能汚染については、現在でも福島の食材について輸入規制をしている国は多い。厳格な管理をしている医療機関でも院内感染は起きる。しかしそれにもかかわらず、もし感染者が出れば風評被害で倒産すると思っている経営者は多い。それなのに営業しないとやっていけない。このストレスはいかほどのものだろう。

コロナに関しては、国はあまり信用されていない。対応が後手後手で、いまだにPCA検査さえ十分に出来ず、それなのに誰も付けないアベノマスクをまた配布するという話しも聞こえるからだ(これは延期された)。違和感だらけだ。第1次感染では、なんとなく感染者は減り、今回の感染者の増加に対して前回使った緊急事態宣言はその経済に与える打撃が大きすぎて使いたくないと言うことのようだが、それなら何をしてロナの蔓延を防ぐのかよく分からない。小池知事のように毎日「不要不急の外出はお控えください」とお題目を唱えるだけでは効果も限定的だろう。今でも思い出すが、テレビで著名な医者が本当はできないからなのにPCA検査を皆にする必要がないと言っていたことを思い出す。本当はできないからそうせざるを得なかったのだが、そうはいわない。本当のことを言えば、先に進むと思うのだが、いまだに国は「知らしむべからず、よらしむべし」なのだろうか。時代錯誤がすごい。そこに違和感を感じる。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

災害


日本列島は災害の多い島だ。まず地震がある。時々海外のスポーツ選手が日本に地震があるので来るのが怖いと言っているのを聞くと、何で?と思うことがあるが、世界のマグニチュード6以上の地震の約2割程度が日本で起こっていると聞くとなるほどとも思う。これはプレート(地球の表面を覆う岩盤)が4つも日本列島の下にあるためらしい。海外ではほとんど地震の起こらない地域もある。そのため石で出来た数千年前の遺跡が残っているのだ。

次に津波がある。これも海に囲まれている以上地震が起きれば避けようもない。それに今月多発した集中豪雨もある。日本列島に高い山が多いからだが、もし山がなかったら雨はあまり降らず森に覆われることもないらしい。また台風もある。つまり日本は基本的に災害列島なのである。そのため外国に較べて日本人の持つネガティブなマインドはこの常に災害に見舞われるという気候・風土が関係していると説明する学者もいる。しかし、逆の視点もある。だからこそ豊かな森、温泉や多くの食材に恵まれた豊穣の国になっているというものだ。モノには必ず二面性がある。

実は災害に対する対処法は国によってかなり違う。3.11の東北地方を襲った津波の跡を見に行くと、海は見えず、コンクリートでできた高い堤防しか見えない場所もある。これで安全になったと国は言うが、別の見方によると、津波という災害を受け街は消滅し、その後の防災対策によって海が消滅したとも言える。そんなところに誰が住もうとするだろうか。現実、今はお寺や公園になっているだけだ。ハワイは太平洋のど真ん中にあり、世界中の津波の被害を受けやすいが、コンクリで覆われた海などはない。自然をコントロールしようとするのではなく、自然との共存の姿勢が明確で、人々の住居は高台の方へ移り、低地には店などの諸施設が残っているが、いざ津波が起こると逃げる道路が整備されている。

日本のようにいくらコンクリで固めても、将来大きな災害が起こると「これまで経験をしたことのない未曾有の**」というような表現がされるのだろう。未来永劫災害は0にはならない。もし住民のためでなく、土木業者のためなら本末転倒だし、土木業者も造るならもっと役に立つものを作りたいと考えているはずだ。なぜなら建造物はずっと残るからである。梅雨は明けるが、具体的な対応策は示されるのだろうか。国民もいいかげんに0でないとだめだというような考えを変えて行かなければいけない。この世に0というものはないのである。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

奄美大島観光


北の県が続いたので、今回は南の鹿児島県の奄美大島について話そう。鹿児島県の奄美諸島の主要な島だ。ここも私のお薦めの場所だ。初めて行くまでは、奄美はハブの島というイメージがあり、少し怖いなと思っていた。しかし、実際に行った後のイメージは宮崎駿監督のアニメ「風の谷のナウシカ」に出てくる腐界のイメージだ。知らない人のために説明すると、巨大文明が崩壊してから1000年後空気も汚染され、世界には有毒な瘴気をまき散らし巨大な蟲達が住む腐界という菌類の森が広がっていて、人類はまだ汚染されてない狭い地域に住んでいるという前提だが、実はこの腐界の地下できれいな空気と水が作られていたという一見害のあるようにみえるものが、実際はその自然を守っているというものだ。

奄美を訪れたとき、ここはまさしく風の谷と腐界だと感じた。実際に今でもハブは森の守り神で、奄美大島の人口7万人の4倍程度生息していると言われている。ハブのために開発が遅れた島は、その自然が守られ、アマミノクロウサギやオサガメなどの絶滅危惧種が今でも多く生息する。その結果、沖縄のヤンバルクイナの森と、西表島と一緒に世界自然遺産に登録申請できる自然が残っている。(今、コロナで申請延期)

奄美大島には沖縄に較べるとより自然な海が存在する。特にヤドリ浜がお勧めだ。そこでは野生のウミガメにかなりの確立で会える。立派なホテルが一軒とバンガローとキャンプ場がある。近くのホノホシ海岸に行くと「ハブに注意」という看板があり、ハブが気になってキャンプができないという人以外には良いと思う。テレビでハブは怖いという情報を流しすぎなのだが、実はハブによる死者は毎年ほぼ0なのだ。ほぼというのは何年かに一人くらい死者が出るためだ。ハブより強力な猛毒をもつウミヘビでも噛まれて死ぬとニュースになる位だ。つまり、世の中で危ないと言われるものは意外と危なくなく、危ないと言われないありふれたものが実は危ないのだ。例えば毎年人類を約70万人殺しているのは蚊である。危ないライオンは年に20人程度、また泳ぐときに気になるサメは10人以下である。また蚊の次に人間を殺しているのは実は人間であり、45万人程度になる。

これで分かるのは、マスコミで流すのはニュース映えする普通でないもので、それを見ると恐怖心を持ってしまうが、実はあまり危険ではなく、普通の生活の中の最もありふれたものが一番怖いと言うことなのである。ハブを気にせず奄美を楽しんで欲しい。沖縄と違い「三密」はない。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

秋田観光


今回は秋田について話す。実は東北の中でも個人的には秋田の酒と食べ物が特に好きだ。じゅんさいやハタハタ、とんぶり、比内地鶏、きりたんぽ、稲庭うどんなど個性のある食べ物が多い。日本酒については、秋田人がそんなに酒を飲むイメージはないと思うが、一人あたり消費量は日本で2番目である。一位は当然に酒どころ新潟だが、秋田は2位だ。3位は山形、4位は福島(平成29年国税庁発表)と東北各県は常に上位だ。日本酒は米と水が良くないとダメだが、東北はおいしい水と米に恵まれている。

また秋田というと秋田美人が有名だ。これは秋田出身の小野小町の影響ともいわれるが、秋田に美人が多いのは、関ヶ原の戦いの後、当時茨城にいた佐竹氏が秋田に送られるときに領内の美人を皆連れて行ったという説と、地理的に近いロシア人との混血により色が白いという説がある。確かに日本一日照時間が少ない県なので色白の女性は多くなるだろう。それに秋田県は人口あたりの美容室の数が日本一であり、身だしなみをちゃんとするということも関係しているのかもしれない。
 
さて秋田の観光というと、私は温泉を最初に薦めたい。まず必ず秘湯のキャンペーンポスターになる日本秘湯を守る会でも人気ナンバー1の人気温泉、乳頭温泉郷の鶴の湯だ。私の友人はこの湯に入る前に杖をついていたのに、入浴後杖をつく必要がなくなったと話していた。乳頭温泉郷の他の温泉も個性的だ。次に日本一強酸性の玉川温泉、効きの湯として癌に効くと来る人もいる。またここは天然の岩盤浴が出来る。皆ムシロを引いて横になっている。そのすぐ側には新玉川温泉もある。中でも珍しいのが日本三大霊場の一つ川原毛地獄がある川原毛温泉だ。ここは川原毛大湯滝から流れ下る滝壺が露天風呂になっている。秋田は秘湯だらけなのだ。

また観光地として抑えないといけないのが男鹿半島と角館だろう。また青森県の時に話した白神産地の半分は秋田側である。男鹿半島には、ユネスコの無形文化遺産にあげられているなまはげがあるが、実際に見るとかなりの迫力で、小さな子は本当に縮み上がると思われる。最近は母親から来ないでくれと言われることも多いらしい。これも子供が可哀想とか、嫌なことはさせないという最近の風潮だろう。200年以上続いてきたユニークな行事もお母さんにはかてないということだろうか。ただ、世界中に似たような行事はあり、子供達の健康を祈ったり、子供が素直に育つように様々な文化ができていったのだろう。文化の継承より、我が子の大事さなのか。文化にはその時の人々の好き嫌いでははかれないものもあると思うがどうだろうか。

渕上コラム「変える言葉」