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グレートジャーニー【最終号】


<最終号>

700万年前アフリカに生まれた人類が、およそ360万年前から世界中に拡散して、現在の世界をつくるもととなった人類最大の旅路をグレートジャーニーという。数百万年にわたりアフリカにいた最初の人類が突然にこのグレートジャーニーを引き起こした理由にドーパミンの遺伝子の変化が原因ではないかという。

ドーパミンとは、神経伝達物質の一つで、快感を感じる脳内の報酬系の活性化に大きな役割を果たしているもので、似たものにアドレナリンがある。ドーパミンが幸福感を感じるのに対し、アドレナリンはやる気を感じる。二つは全く別の物質ではなく、ドーパミンが変化したものがアドレナリンとなる。このドーパミンがでるためには、報酬予測誤差というものが関係する。つまりドーパミンは楽しいことがあったら出るのではなく、予測している報酬よりも実際の経験がその予測(期待)を上回ったら、ドバっと出るのだ。よくビジネスで相手が想定するより上のサービスを提供しようといっているのは、このためだ。つまり、どんなにそのサービスが良くても、想定内のサービスではドーパミンは多く出ず、想定を超えたサービスで感動させられるとドバっと出るのだ。その結果、お客はファンになってくれる。

このドーパミンの遺伝子がグレートジャーニーの前に、放出量を増加させたということらしい。そうすると、変化に不安をあまり感じなくなる。つまり新しい環境への対応がしやすくなる。ドーパミン遺伝子の変化により、人類は新天地という新たな希望もあるが、一方不安にも満ちた場所へ移動を始めたのだ。その結果、現在約78億人の人類が世界中に暮らす地球となったという。

不思議なことに、現在のアフリカ人のドーパミンの遺伝子は、ほとんどが古い体質で不安を感じやすく、新天地となったアメリカでは半分以上が不安を感じにくいタイプだそうだ。ちなみに日本人は3分の1が不安を感じにくいタイプらしい。人間を科学的にみる視点は必要だ。遺伝子の差で、大きな差異が生じる。その差異は人類の多様性に通じる。特定の感染症にも強い人類、弱い人類があり、その多様性こそが人類の発展を担保してくれる。これが人種差別の解消にもつながるかもしれない。

さて足掛け6年にわたり毎週書いてきた「変える言葉」をこの回をもって終了することにする。毎週掲載するということは良い練習になった。これからは、個人的なSNSなどにシフトしたいと考えている。ありがとうございました。


6年に渡りお読み頂きました皆様へ感謝申し上げます。
過去の全コラムは以下「変える言葉」ページにてお読み頂けます。

渕上コラム「変える言葉」
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M&Aの仲介の必要性


2020年12月に当時の河野太郎規制改革・行革・国家公務員制度・沖縄北方担当大臣が、中小企業のM&Aについて、仲介は両社から手数料を取るので利益相反になるのではと発言し、話題になった。現在売り手と買い手の双方から手数料をもらうのは不動産業界では当たり前であるが、まだM&A業界では一般的ではない。

しかし私の経験と所属しているバトンズの実例では仲介をするとしないのでは成約率は5倍位違っている、その理由は明らかで、不動産などの時価がある程度公表されているものについては交渉するということが少ないのだが、会社の価値というものは、明確でない。さまざまな企業価値を算出する指標はあるが、それが通用するのはある程度の規模の中堅企業以上だろう。中小・零細企業に関しては、社長はそういう企業価値の話をしても理解できる人は少なく、とにかくこれでしか売らない。またこれでしか買わないというケースが多く、物別れになる。売り手、買い手それぞれのコンサルタントは、それぞれの雇い主の主張を無理とわかっていてもそう言わざるとえない。その結果物別れになる。

しかし、仲介だと、両者の話を聞きながら、落としどころを考えることができる。その結果成約に結び付く。私も基本的には仲介がやりやすいし、望ましいと考えている。問題
は、買主だ。買主の多くは、とにかく安く買いたいと考えている人が多いので、本人にとっては、余分なコンサルタント料は払いたくないと考える。その結果成約に結び付かない。買主は売りたい企業は困っているので売りたいのだろうと考える。そのため安く買いたたけると考えている人も多い。もちろんそういう企業もあるが、そうではない企業も多い。先月も業績は過去最高益を出している企業が、譲っても良いと考える社長に出会い、自分の年齢と顧客のことを考えて企業を譲渡したという例もある。基本は互いの信頼感だ。それがあれば折り合いはつけられると思う。

先日、中小企業のM&A支援機関の認定を受けたが、その支援機関ができた理由は、M&Aには資格がいらないため、誰でも参入ができるためトラブルが多発しているためだ。資格はいらないが、実はM&Aのコンサルタントには広範な知識が求められる。税務、会計、経営、法律、金融、環境、業界の知識などだ。その結果コンサルをするのは、会計事務所系、弁護士事務所系など特定の知識に長がある業種の参入が多いのが特徴だ。これからもまだまだいろんな動きがあるだろう。それこそ新しい業界の特徴だからだ。はっきりしているのは、日本経済にM&Aは絶対必要だということだ。

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ガリバー旅行記


最近の世相を見ていて、ふとガリバー旅行記を連想した。ガリバー旅行記とは、アイルランドの風刺作家J・スウィフトによって1726年に出版されたものだが、当時のイギリス社会の慣習などに批判的な視点で描かれている。日本では子供の本として紹介されているケースが多いが、もともとは大人向けの風刺小説である。

第1篇は小人の王国リリパット国渡航記というタイトルで、医師であるガリバーが航海で難破し、たどり着いた先がリリバットという小人の国で、いつも卵の殻を大きい方から剥くか、小さいほうから剥くかというどうでもよいようなことで争いをしている国だ。この卵の剥き方は一方はカソリックをもう一方はイングランド国教を表しているらしい。またフランスとイギリスが常に戦争している国のモデルとして書かれているらしい。

第2編は巨人の王国ブロブディンナグ国渡航記といい、第3篇は空に浮かぶ島ラピュータ・バルニバービ、魔法使いの島グラブダブドリック渡航記、不死の国ラグナグ、及び日本への渡航記が書かれている。架空の国の話に日本という実在の国が出てくる。そこではガリバーは踏み絵をさせられそうになるのだ。なぜ実在の国である日本が出てくるのか諸説があるが、当時日本の鎖国は世界で有名で、その交易で上がる富をオランダが独占していた。そのオランダに対し、イギリス人である作者は、踏み絵をしてまで日本の富を独占しようとするオランダ人に対して言いたいことがあったのだろうとも言われている。また、これらの発想はコミックのワンピースの作者にかなりのインスピレーションを与えていると思われる。小人の国、巨人国、空の上の国、天候を操る魔法使いの国、今ジャンプに掲載されている倭の国など、作家がインスピレーションを受けて新しく構想をして書いているが、約300年前のスウィフトの想像力に驚く。

第4編はフウイヌム国渡航記は平和で非常に合理的な社会を持つ、高貴かつ知的な馬の種族フウイヌムと、その対比として、人間そっくりの邪悪で汚らしい生物がヤフーとして書かれている。このヤフーは強欲で争うことが好きな醜い生物として描かれている。この人間と馬の立場が逆転して書かれていることは、映画の「猿の惑星」をイメージする。これらの想像力がガリバー旅行記を子供向けにアレンジしてまで提供した理由だろう。単純におもしろいのだ。そこでは、当然に政治的なものや、批判的なものは削除されている。今もてはやされている多くの作品のインスピレーションの元となるものは、過去にほとんど出尽くしているのかもしれない。想像力はロボットにはできないという人間が本来もつ素晴らしさが理解できる。

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人口問題


世界にはこの数10年で人口が急激に増えている国が多い。例えばインドネシアは40年前には約1億4千万人ほどだったが、2020年には2億7千万人とほぼ倍増しているし、フィリピンも同じく40年前は5千万人に満たなかったのに、2020年は1億を越して1億900万人になっている。現在世界一の人口を擁する中国も1960年には約6億6千万の人口だったが、2020年は14億4千万人に、インドは1960年には4億5千万人だったが、2020年には13億8千万人に増加している。

私はこれまでは、人口の急増国は子供を多く生むのだろうとしか考えていなかった。統計を見ると、女性一人が一生で出産する子供の平均数の上位はすべてアフリカの国である。1位はニジェールで6.82人、2位はソマリアで5.98人である。25位ぐらいまでアフリカの国が続く。アフリカの人口爆発は起こるべくして起こっている。一方インドネシアは91位の2.29人、フィリピンは76位の2.53人、中国は150位の1.7人、インドはなんと100位の2.20人(2019年グローバルノートの資料)である。出生率と人口の急増は当然に関係あるが他の大きな要因もあるようだ。

国際政治学者の高坂正堯(こうさか まさたか)氏がその著書でその理由を述べている。それは食糧と子供の死亡率の問題なのである。昔、子供は3~5割は大人になれなかった。そこで死ぬことを見越して多く子供を産んでいたのだ。そこに西洋文明が入ってきた。価値観や文化というものは簡単には受け入れられないが、医療というものは、誰でも死にたくないので、また死なせたくないので受け入れられた。その結果、子供を多く産む慣習は変わらないのに、死ぬ子供は急激に減少し、その結果人口爆発が起こったというのだ。

逆の場合で考えてみると、日本のように少子化という慣習ができてしまうと、それを変えるのは簡単ではないということにもなる。貧しい国では子供は働き手であり、親の保険でもある。その結果子供の数は増える。一方豊かな国では、子供は金のかかる存在となってしまい、子供の数は減る。子供を育てることが負担でない社会にしないと子供は増えない。日本は大学は金がかるし、中高でも無駄な出費が多い。しかし、幸福度世界一で、子供を育てることにもお金がかからないフィンランドを見ると出生率が近年急落している。1.87からわずか8-9年で1.41まで減っているのだ。個人主義でリベラルなため、子供を持つことより個人のことを優先した結果ともいわれている。人口問題は一筋縄ではいかない。

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新時代の多様性


パリ協定に基づく2050年までの「ネットゼロ」達成に向けてのCop26が開催された。11月2日、日本にはその日の温暖化対策に消極的な国として不名誉な「化石賞」が再度贈られた。日本の対応は日本としては現実的な対応ではあったが、海外からは、あきらかに期待を裏切られる対応だったのだろう。

最近思うのは、この気候変動に対してだけではなく、死刑制度、選択的夫婦別姓、LGBTQs、テクノロジーなど社会が大きく変化しているということだ。よく考えてみると、変化が起きない社会などありえない。特にこの気候変動は地球の保護を通じての人類生存にかかる問題ではある。

人類は、常に地球を改造してきた。山を削り、海や湖を埋め立て、大きな建造物を作り、社会をより効率的に改造してきた。私が子供の頃に魚を捕りに行っていた海は埋め立てられ、川は用水路になった。東京や大阪でもゴミ捨て場が埋め立てられ様々な施設が建っている。しかし、どのように改造したとしても、天候や災害は変えられない。地震の発生も火山の爆発も阻止できないし、津波も防げない。2000万年前近くまで日本列島は大陸と繋がっていたし、その後は西日本と東日本はばらばらだった。世界の大陸も巨大な力でくっついたり、離れたりしている。このような巨大な力、つまり自然には対抗できない。自然に対抗できる、自然を変えられるというのは、そもそも大きな過信であり誤謬だろう。

自然は変えるものではなく、柔軟に対応し、適応するものであるということを確認する必要がある。会社の経営を考える時に変えられないものは問題とは言わないと学んだ。例えば、雨が降り続いたり、逆に雨が全く降らなかったりすることは、大変だけども問題ではない。それは仕方のないこと。問題というのは解決できることを指すのだ。解決が不可能なことは問題とは言わない。例えば、東京都の地下に洪水に備えて巨大な水がめ作ったり、江戸に流れ込む川の流れを変えて、利根川に流し込んだり、ダムを作ったり具体的な対応策を考えることが問題の解決というのだ。

私たちの周りには解決できないものが多くある。しかし、仕事や、家族や、友人など解決できる問題も多い。大事なことはあなたがその問題に対して何をするのかということにつきると思う。しかし、私たちは往々にしてあたかも自然災害のように、何もせず通り過ぎるのを待ってしまう。これでは問題の解決はできない。

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秘湯の旅


秋が深まってくると、深山の秘湯に浸かってイノシシ焼きながら鹿の刺身を食い日本酒で一杯というイメージが浮かぶ。こんなぜいたくな旅ができるのが日本の特徴だ。日本は本当に飲食が安い。先日テレビで渡辺直美さんがニューヨークで朝食に目玉焼き2個とベーコンそしてパンを友人と食べたら2人で7000円したという話をしていた。スイスではマグドナルドの標準単価は1500円と言われる。

ところで、今年新たに世界文化遺産として、ヨーロッパの7つの国にある11の町で構成されるグレイト・スパタウンが認定された。18世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの国際的な温泉文化の証人ということらしい。実は日本では弥生時代の頃、ヨーロッパはローマ帝国の時代であった。当時は、テルマエと呼ばれた公衆浴場はローマ人の生活の一部となっていたし、ローマ帝国は領土の拡大と共にテルマエの文化も広げていったのだ。温泉はヨーロッパの文化でもあるのだ。現代のバスの起源は、今回の世界遺産にも認定されたイギリスのバース(bath)という町にあるらしい。

ヨーロッパの温泉と、日本の温泉は基本的に違うことがいくつかある。
(1) 日本は男女別で裸(一部、裸で混浴という地域もある)で、温泉にじっと浸かる。ヨーロッパは水着で混浴、かつ泳ぐ。
(2) 日本は温度が低いと加熱が標準だが、ヨーロッパはぬるくても自然のまま。
(3) ヨーロッパでは温泉入浴は医療行為というイメージで、健康保険が適用される国もある。

私もハンガリーで温泉に入ったことがあるが、やはり日本人のせいなのか、日本の秘湯の方に分があるような気がする。今後、日本の温泉地が世界遺産になるということがあるのだろうか?しかし、人が押し寄せても困る。風情がなくなる。日本の数ある秘湯の中で、お勧めは山形県の姥湯温泉だ。必ず期待以上のできごとに遭遇し、「ワーオー」と言ってしまう。地球の息吹と今なら絶景の紅葉をみることができる。

紅葉というと、赤い色をイメージするが、東北の白神山地やら、姥湯への途中のぶなの原生林など黄色の紅葉も捨てがたい。山が黄色一色になるのだ。姥湯にいく途中の山中には、峠の力餅の峠の茶屋という店がひっそりとある。不思議な店で、こんな場所になぜあるのか知りたかったが、時間がなくてパスした。個人的に、温泉の世界文化遺産入りを祝して、日本の秘湯へ入りに行きたい。クー!

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コロナ後の観光産業


以前も少し話をしたが、日本の観光産業や飲食店は、平成以降格段のレベルアップをしている。私の学生の頃はユースホステルにシーツ持参で1泊1200円~1800円で泊まっていた。もちろん4~8人部屋の二段ベッドだ。今の若い人にユースホステルに泊まろうという人は少ない。そのためほぼ消えてしまった。

以前は旅館の朝食は必ず生卵でご飯をかきこんでいたが、今は夕食・朝食とも昔より断然品質が上がっている。ここまで来るには国家としての経済成長と、個人の所得のアップと宿泊施設の努力が必要だっただろう。例えばフィリピン人は旅行というものをしたことがない人が多い。それは貧しいからだが、そのため観光にも食にも興味をもっていない人が多いし、その結果自国のことをあまり知らない。観光産業も未成熟で、政府のインフラ整備もできていない。観光産業は国民の知育を涵養するのだ。

日本では、最近コロナの影響で状況が変わってきている。高級なあまり人に接しない旅館などは満員で、昔の修学旅行スタイルのような、バイキングで人が往来する宿はあまり人気がない。つまり、個人が自分の判断でリスクを避けながらしたいことをするように変化しているのだ。コロナは、これまで第5次の急速な収束をはじめほとんど予測できなかった感染学者が、第6次の予測をしている。これには落とし穴がある。つまり、基本わからないのであるが、仮にもう大きな波は来ないと言って、もし来たら信用をなくすが(もう無くしていると思うが)、来ると言って来なかったら「よかったですね」で終わる。つまりリスクをとらないやり方でもある。これを「煽っている」という人もいる。実際のところ、素人でも感染症は波を繰り返していくのはわかっている。問題は、どう国や地方が対策を準備し、経済や観光産業につなげていくのかということだ。

日本の観光産業は、将来の日本経済と雇用をけん引する可能性がある。日本は本当に世界に比べて素晴らしいところがたくさんあると思う。私がコロナ対策で一番意味ないと感じているのは、「県をまたいだ移動はご遠慮ください」というやつだ。これはもともと感染者が多い東京や大阪のような大都市の人が地方へ行かないようにという意味だと思うが、これをこのまま感染の少ない県でもやっている。例えば大分県から宮崎県へ感染状況の似た場所へ移動することと、同県で移動することと、どう違うのか教えてもらいたい。県知事も感染学者と同じになってしまった。それにしてもあのラッシュの中、電車で見知らぬ大勢の人の中で、毎日通勤しながら逆に感染しない人が多い東京の人にすごさを感じる。

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奥の細道


最近旅への思いが強くなっているのを感じる。周りを見ると、それは私だけではなく、コロナ前は高齢者の旅行がかなり目立っていたのを思い出す。そういえば旅好きとして西行法師と松尾芭蕉は特に有名だ。また旅好きな偉人も多く、坂本龍馬や「東海道五十三次」を作成した歌川広重や、また秀吉や西郷隆盛は温泉好きとしても知られている。

西行は平安時代末期から鎌倉初期の武士で、また僧侶でもあり歌人でもあった。彼は30歳頃に陸奥へ最初の長旅に出る。また50歳頃に四国を巡礼する。有名な歌は百人一首に掲載されている「嘆けとて 月やは 物を思はする かこち顔なる わが涙かな」である。(意味:嘆けといって月がもの思いをさせるのだろうか。あなたとの恋のせいなのに、月がそうさせたかのように涙が流れる)

一方の芭蕉は日本を代表する俳人である。「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」で始まる「奥の細道」を記したことでも有名である。彼が山形県の山寺で詠んだ「静かさや 岩にしみいる 蝉の声」は誰でも知っている。彼が東北から新潟、石川、福井など2400キロを弟子の曾良(そら)と一緒に約150日で旅したのは、46歳の時だ。西行にせよ、芭蕉にせよ、当時の平均寿命を超えている。今で言うと70歳を超えたおじいちゃんが歩いて旅をしていることになる。

つまり日本人の高齢者はもともと旅好きだということだ。旅には人・自然・風土・食などすべてのものが包含されている。年齢を重ねて、少し鈍ってきた感性を旅先で新たな経験をすることにより、少し取り戻し、新たなステージに行けるような気がする。今でも奥の細道のコースを旅する人も多い。

最近私の心にふつふつと起こる旅への思いは抑えがたいものがあるが、その理由の一つにもう行かないと行けなくなるという恐れがあるからだろう。若い時はいつでも行けると思っていても、ある年齢を超えた時にふと余命を考えて、今行かなくてはと思うようになる。いわゆる芭蕉の「片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず」と同じような気持ちとなり、「古人も多く旅に死せるあり」といつ死んでも良いと決心して旅に出ることになる。それは家族と共になどという価値観とは別の個人主義的な価値観である。しかし、人生自体が旅という考えを持ちにくくなった現在社会において、旅をするということの価値を再発見しても良いと思う。さあ、旅に出よう。

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好奇心


最近感じるのは「好奇心」というものが、人間のモチベーションの本来の原動力ではないかということである。今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏も「好奇心」という言葉を繰り返し述べていたのが印象的だった。

自分の周りを見渡してみても、好奇心を持った人間はセルフ・モチベーションを持っている者が多い。つまり人から言われからではなく、自発的に動いている。私は社員に「モチベーションは人に与えられてやるのではなく、一番重要なのはセルフ・モチベーションだ」といつも言っていた。しかし、これが社員にはなかなか理解できないようだった。社員はお前がいるからやる気がでないとか、給料が安いからやるきがでないとか常に他者のせいにする傾向がある。そして転職して、また同じ問題を繰り返すのである。この心理を若い時は理解できなかったが、今ではよくわかる。他人のせいにする方が心の平安は保たれるのだ。

私は前を向いて頑張り続ける人が好きだし、自分もそのタイプだと思う。しかし、皆がそんなタイプではないということも理解できる。これまでは彼らのためだと思い、もっと頑張ってと尻をたたいてきたような気もする。でもよく考えてみると、皆が上昇志向なら社会は回らない。生活の基盤となっているコンビニの店員、ゴミの収集員、老人のオムツを変えたり、風呂に入れたりする介護の仕事などこの世の中は上昇志向とは別の意識で働いている人も多く、それで社会は成り立っている。成長志向の人間は彼らにとってはうざい存在だろう。これもバランスだと思う。聞いた話では隣の韓国では学歴偏重と上昇志向が強く、中小企業に勤める人が減ってきて困っているという。

そういう上昇志向から少し離れたところで、社員を一切教育せず、管理職を置かず、週休3日にし、フレックスにし、給料は他社よりも高いという企業も出現している。そういう企業は、最初からそういう業務設計をして、人によってではなく、仕組みによって企業を成長させていくというのだ。やる気のない疲れた人を採用し、やる気のある成長志向の人を超えていくというのだ。本来はこれをマネージメントというのだろう。優秀な人を集めてやろうというマネジメントと、普通の人や仕事にくたびれ果てた人を使って業績と個人の幸福をさぐっていこうというマネジメントとがある。これからはマネジメントの多様性の時代になっていくかもしれない。人口減少時代には、時代背景から上昇志向を持って、厳しさの中で働いてきた高齢者の発想から、一人一人の幸福を基本に据えて働くこれからの世代の発想への転換が始まるのかもしれない。

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戦争を知らない子供たち


私が学生の頃「戦争を知らない子供たち」というフォークルセダーズというグループの歌が流行った。「戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らずに僕らは育った」という歌詞だったが、日本が二度の大戦を経た後、一度も内戦も海外との戦いも経験せずに今に至っているのは当たり前のことではない。これは大変なことなのだ。他の国で考えてみよう。韓国は朝鮮戦争を経験しているし、実はまだ休戦中で終戦していない。中国は近隣のインド、ロシア、ベトナムなどと頻繁に紛争を起こしているし、ウイグルのような内戦は頻発している。また超大国アメリカは常に戦争している。多くの国が戦争を経験する中、日本は奇跡に近い形で戦争をしていない。

最近の若い人は、日本とアメリカが戦争していたことさえ知らない次世代の「戦争を知らない子供たち」が増えている。そういう次世代の子供の数は減少し続け、中小企業に若い人が来なくなってずいぶん経つが、最近は本当に来なくなっている。まず15歳から24歳の人口が2010年の1270万から2020年は1213万と57万人減っている。その若い人は次世代の「戦争を知らない子供たち」で、考え方も感じ方も随分と違う。そういう若者を大企業が採用し、残った人を中小企業が採用するわけだが、中小企業に来る若者はあまり残っていない。このことが結果として働き方の大変化をもたらす可能性は大きい。

それは国がこれまで推し進めてきた働き方改革の実現だ。つまり人口減少により人の価値が上がるからだ。企業は人なしには運営できない。コロナ過の時、日本では病棟を作っても働く医療従事者が確保できないと言っていた。一方フランスではロックダウンにより絶対必要なはずの看護師の多くが退職した。フランス人ははっきりしている。危ないのに給料は変わらないと退職する。そこで政府は給料を2~3倍に上げて募集したらしい。するとすぐ集まった。3か月ほど働いてお金を貯め、バカンスに使うらしい。日本は、基本として人の善意に依存している古いスタイルだ。仕事はよりハードに、危険はより増し、病院の経営状態からボーナスはカットされる。これでやめないのはすごいことだが、政府の無策を医療従事者が補っているというのではやはり限界がある。コロナ政策が180度変わったニューヨークでは地下鉄の運転手が足りないので、月給120万円で募集しているらしい。考えてみればサムスンなどは優秀な大学を出た学生には年収1000万円以上は当たり前だし、最近話題の小室さんも1800万円くらいだともいう。コロナに限らず膠着したこの国の給料体系も世界標準にならざるをえないと思うが、それを格差というのだろうか。

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