私の父は満州(新京)からの引揚者である。戦争時の事を多くの人は子供たちに話したがらない。なぜなら話すにはあまりに辛い体験だからである。思い出したくないことも多いのだ。父も断片的なことは時々体験を同じくする兄弟で話していたようだが、私に話をしたことはない。しかし、75歳を過ぎて思うところがあったのだろう。「敗戦1年の記録、昭和20年8月より21年9月まで」というタイトルで、帰国の途につくまでのことを本にしたためた。ずっと日記をつけていたらしく、かなり詳しく記載している。今回は終戦記念日も近いのでこれについて述べることにする。
実は、最近引退をした人の間で戦争中の本が売れているらしい。引揚者もそうでない人の子供達にも、親の時代の一つの象徴が満州だった。ラストエンペラーと言われた溥儀は映画でも扱われるほど激動の時代を生きた。実は私も50歳をすぎてから、自分のルーツを訪ねて大連(母の生まれ育った町)、新京(現在の長春)、そしてロシアに近いハルピンを見て回った。そういう旧満州を巡るツアーも人気が高い。
いつも父はロシア人をロスケといって全く信用しないといっていた。その理由は自伝を見ればよくわかる。突然徒党を組んでやってきて、酒、女、そして時計などの金目の物を要求してくる。そして反抗的な態度をとると銃を突き付けられたようだ。自伝でもかなりのページにその顛末を書いている。人間は理屈よりも感情が優先する。ロシア嫌いは死ぬまで続いた。
また、同じ日本人同士でも助け合う人もいれば、地位を利用してうまい汁を吸おうとする人、言うことは言うが、何もしない人など様々な人間模様が描かれている。周りで戦闘が日々行われていても、そこに住んでいる人は日々食うための仕事を探し、寒い冬のための薪を準備したり、暇なときは碁を楽しんだり、たまには牛肉を買ってきてしこたま食べたなど日常の風景が展開されている。
引き上げが近くなって祖父が病気で亡くなるくだりになると、父はしばらく書けなかったようである。昔の人の人間関係は濃い。父は引揚の途中で祖父を無くし、引き上げ後祖母と兄弟4人の面倒を祖父に替わって見ることになる。苦労は人の心を鋼にするというが、現代のような苦労を知らない時代の子供たちはどうなるのだろう。兄弟4人の面倒を最後まで見た父は、兄弟のうち次男一人を残して87歳であの世に旅立った。冥福を改めて祈りたい。