山陰の出雲大社に友人と行ってきた。3回目、30年ぶりだ。まず人の多さにびっくりした。以前より人が多くなった気がする。お参りをするお宮が場所により50メートルほどの行列になっていた。今回はこれまでと違い楽しめた。まず井沢元彦氏の「逆説の日本史」で大国の主の命について書かれていたので興味を持ってお参りしたことがその原因だ。
井沢氏によるとこの大社(おおやしろ)は大国主の命の魂を鎮めるために建てられたということだ。菅原道真の太宰府天満宮もそうであった。古来より祟りを日本人は恐れた。大社の隣の出雲古代歴史博物館の中にもミニチュアがあったが当時出雲大社は奈良の東大寺よりも高い、伊勢神宮より高い、日本一の高さ48mを誇る大社であったらしい。平成12年に巨大な柱も見つかっている。3本で3メートルという大柱だ。これなら巨大大社も建築可能だ。なぜこんなに高いものを建てたのか?その理由はヤマト王国と思われる中央政府が出雲地方の豪族に土地を差し出し支配に入るように命令したことに起因する。その結果大国主の命の子供のうち、一人は海に身を投げ、一人は戦ったが諏訪に逃げ、その後降伏し、その子孫はこの諏訪の地から未来永劫出ることを禁止されたそうだ。
さてそういう視点で出雲大社にお参りすると、出雲大社は不思議な造りになっている。大国主の命は正面から横を向いて座っており、その前に3体の神がまるで大国主の命を遮るように正面を向いて座っている。また長さ13.5m、重さ4.5トンの大繩は本殿にはかかっていない。過去2度のお参りでは本殿の大繩を見て意外と小さいなと思って終わっていた。最近はテレビなどでも紹介されているのでちゃんと大繩を見られる神楽殿に初めて行った。立派であった。
こういう寺社を見ると、いつも考えるのが機械も車もない時代にどうやってこういう巨大な建造物をつくったのかという疑問である。4,5トンの大繩を高さ4メートルくらいに上げるだけでも難しそうだ。古代から現代に至るまで人間の知恵と工夫は限りない。仕事上での小さな難題に苦慮している現代人は古代より賢くなったのだろうか。真に知恵と工夫は限りなくある。