コラム

年齢による限界


今、経営者の年齢の山が66歳になったといって中小企業庁も承継に必死になっている。一般論としてはもちろんその通りだ。しかし、よく考えてみるとおかしな話でもある。今の日本の経済を60歳代後半を超す経営者が実際は支えているという実態もそこに見えるのだ。

ここで一つ疑問が生じる。日本人の平均寿命と同じで政府は過去の常識に従って経営者の交代を進めているのではないのかということである。江戸時代の偉人に伊能忠敬という人がいた。平均寿命が30歳から40歳(子供の死亡率が高かったため)と推定される時代だ。将軍でさえ平均寿命は51歳と言われていた。そんな時代に彼は50歳過ぎて家督を譲り、56歳から20年弱の年月をかけて日本全体を測量した。今で言うと80歳のおじいさんが誰もなしえなかったすごいことをしたことになる。彼がもし歳だからと何もしなかったらどうなったのだろうか。

私がいつも感じるのはこの国はこの時代になっても「お代官様」の国で、今の働き方改革にせよ、事業の承継にせよ国が企業に働きかけることによりしか前に進めないのかという疑問である。もちろん、それも必要なことであろう。データでは最近は倒産より廃業の件数が数倍もあるというのは事実である。しかし、もう一つの視点がある。起業が少ないという日本の特徴である。廃業も多く、同じように起業も多ければ、それはそれとして問題はない。リスクをとらない、又は取りにくいという実態がそこには浮かび上がる。

「いつまで仕事ができるのか」これは本当に人による。経営者というより幹部がしっかりしていれば、経営者は死ぬまでやれる。経営者自身が働かないといけない組織なら、本人の仕事の限界がイコール引退の時になるが、問題はそれまでの交代できる準備期間が必要なことだ。ソフトバンクの孫さんも引退の時期をイメージしていた年齢から変更した。自分のことは自分で決める以外にない。そして引退後は伊能忠敬のように本当にしたいことをすればよいと思うのだがどうだろうか?実際にカレーハウスCOCO一番屋の宗次徳二創業者は、実権は後進にゆずり、特別顧問という名称だが、まったく会社にはいかず、自分で新しく小さな会社を作ってやりたいことをやっている。国も今度は齢を取ったら皆働くなといっているわけではない。老年者はすごく多様性に生きているのだ。

渕上コラム「変える言葉」