コラム

成長なき組織


近代社会の共通の価値観を一つ上げよというと「成長」になる。近代社会は、競争による成長という視点で発展を続けてきた。個人においても、組織においても成長がないとどうなるのか考えてみよう。

まず個人において成長がないということはどういうことなのか。新人として入社してきて、10年後も新人と同じことしかできない社員はほぼいない。ところが入社して20年以上経つとまったく成長しているどころか逆に退歩しているような社員が見受けられる。これはなぜなのか?

一つには体力があるかもしれない。40前後から体力は確実に落ちていく。しかし、一番大きな要因は新しい仕事へのチャレンジ意欲が減退することではないだろうか。新入社員の時はすべての業務がチャレンジである。しかし、中堅になると、その慣れ親しんだ仕事を続けることで未来があるような都合の良い仕事への解釈がそのチャレンジの必要性を認めさせていない。大変だからだ。

しかし、個人の都合とは別に社会は確実に変化していき、必要な仕事も仕事の価値も変化していく。個人のチャレンジによる成長のない未来は、確実に個人の価値を損なっていく。

そういう個人が多くを占める会社という組織も同様の結果となる。継続する組織というものは、名は同じだが、していることはどんどん変化対応している組織である。長寿番組や長寿企業は皆そういう点では同じである。しかし、日本という国は、青年の就職したい職業の上位を公務員や大企業が占める。もちろん公務員という職業が悪いわけではない。必要な職業である。ただし、その志望動機が公務員になって社会の役に立ちたいではなく、安定しているからということが問題なのだ。大企業も同じような理由の学生が多い。

2019年6月に先進国の「業務自動化率」を調査したら、日本は12か国で最下位であった。その理由は「変化への恐れ」だそうである。明治に入って、西欧の進んだ文化を受け入れ、この国は発展してきた。しかし、今第二の明治維新が必要なのかもしれない。それほど成長は必要なことなのだ。今の社員と中小企業は明治で言うとちょんまげで刀を下げて歩いているのかもしれない。

渕上コラム「変える言葉」