経営者やその奥様と話しをしていて良く感じることがある。それは言葉のとらえ方が人により異なるということだ。その理由はいろいろあると思うが、大きく分けると二つあり、一つはそれを学ぶ機会がないと言うこと、これは災害が多いことに起因しているらしいが、もう一つは日本人は基本的にネガティブな思想を持つ人が多いということだ。
例えば「投資」と「投機」の違いがわからずごっちゃになっている場合と、「リスク」のとらえ方がイコール「危険」となっていることが特に目立つ。広辞苑も「リスク」を「危険」と訳しているが、これは少し説明不足のような気がする。このとらえ方の影響は企業の時価総額にも表われている。いろんな理由は当然にあるが、平成元年には世界の上位50社に32社あったのに、平成30年には43位にトヨタ1社しか入っていない。いくら当時バブルだからといってもこれはひどすぎる。つまりリスクをとらない日本人は新しい産業構造についていけなかったのだ。
いつからか日本人はリスクをとらなくなってしまった。リスクを危険と考えると、とらない方がよい。つまりチャレンジをしないようにした方が良いことになってしまう。しかし、リスクの本質は「不確実性」である。不確実ということはその部分について社会の産業構造が変わったり、利益を上げられる会社の条件が変わったりするのだ。つまり、上位にある企業が下位に下がったり、今まだ下にある企業が成長して上位を占めるチャンスでもある。だからリスクをとってチャレンジするのである。しかし、リスクに対する自社の許容範囲は当然に理解しないといけない。
現代は子供を生むことがリスクと言われている。育て、教育を与えるのにお金がかかり、自分のしたいことも犠牲にしないといけない。もし失業したら育てられないなどと考える人が増えている。そうすると当然に少子化になる。結婚も同じようにリスクだと考えると、当然に晩婚化し、結婚しない人も増えていく。国は国民のそういうリスクを減らすための施策をしないといけない。
日本人は企業も個人もリスクを危険と考え、世の中は確実なことはなに一つないのに、不確実なことを避ける傾向がある。本来はリスクを計算して対応していくべきだ。新しい社会に有用なチャレンジにより達成できた場合の満足感や、子供を持つ楽しさ、結婚の味わいはリスクを避けていては得られない。リスクをとらない生き方は逆に面白みのないリスキーな人生であると思うのだがどうだろう。