コラム

10年後のあなたへ


未来を考えるということは、実は当たり前のことではない。私が引き受けた二人のフィリピンの僻地に住んでいた子供達は、日本の小学校に行き、日本語もある程度話せるようになった時によくこう言っていた「先生の言うこと、意味分からん。将来の夢を書けというけど、何それ!」つまり発展途上国にいたその日暮らしの子供達にとって将来を描くことは普通にできることではないのだ。彼女らは10年経っても今が楽しければそれで良いという。

一方、先進国である日本でも将来の夢を描けない人が増えているような気がする。それはもちろん物質的な貧しさが理由の人もいるだろうが、それだけではないような気がする。逆に物質的に豊かになり、食うことに困らなくなったため、今のままでいいやという精神の貧困からなのかもしれない。はっきりしているのは、人は未来を描くからチャレンジをするのだ。サッカーの三浦知良、最近では久保建英など、若いときから言葉も通じない海外に出かけているのはそのためだ。

よく最近の社員は、出世したいという意識が欠けているという話しを聞く。出世して多少給料が上がったとしても責任が重くなり、トータルで自分にと損と考えるらしい。つまり、自分の能力をより発揮してより多くの人の役により立つ立場の選択よりも、気楽さが人生の優先順位になるらしい。彼らの10年後の理想の自分は、今のままと変わらないこと。私は基本的に個人の自由を最大限に認める。従ってそれもありだとは考えるが、それが普通のことになるのは、日本の将来を考えると少し怖くなる。考えてみてほしい。今の自分と10年後の自分が能力が同じで、同じ仕事をしているってかなり怖い。将来どうなりたいかがまったく考えない人間が部下にいたらどうしよう。仕事において成長を見せない人間、成長したいと考えない人間、言えるとしたら、そういう人と私はつきあいたくない。一般的に老人がおもしろくないのはそういうところだろう。老人のような思想をもった若者が増えているのだろうか。

自分のことを考えてみた。10年後の私に会うとしたら、どういう自分になっているのだろう。いやなっていて欲しいのだろう。10年後に喜んで会うとしたらどういうことをこれからするべきなのだろう。そうやって考えてみていると、私は結構チャレンジングな面白い人生になるように目標を立てて実行していきたい。アジア立命館太平洋大学の出口学長の言っていた「人生はプラスマイナス0で考えるのではなく、絶対値で考えること」という言葉が身にしみる。絶対値の大きな人生を歩みたい。

渕上コラム「変える言葉」