コラム

海外旅行について


コロナの蔓延で個人的に残念なことがある。それはこれからしばらく海外旅行が自由にできなくなるということである。私が学生の頃、沖縄は一番近いアメリカだった。日本から他の国へ行くのにほとんどの国でビザが必要だった。学生だった私はまさか自分が将来海外に行くとは想像できなかった。そのため英語の勉強には不熱心であった。それからほぼ半世紀近くたち、日本は経済的発展などにより世界でトップクラスのビザ免除国となった。

私は事務所の社員旅行で初めて台湾に行くことになり、大きなカルチャーショックを受けることになる。それから私は個人としても会社としても旅行はできるだけ海外へ行くよう奨励してきた。それは海外旅行がその時代を生きる人間として一番エキサイティングなことだからだ。有史以来人類が自由に世界を旅行できることはなかった。

江戸時代の末期に日本を訪れた多くの外国人の紀行文が記されているが、海外ほど人間の持っている知的好奇心を満足させるものはない。民族、文化、食事、建築物、歴史、芸術、現地の人とのふれあいなどどんな人でも満足させるものがある。江戸時代末期に日本に来た外国人が一番びっくりしたのは毎日風呂に入って清潔だったことと混浴だったらしい。同時期に中国・韓国を旅行した外国人が、のみシラミで不潔きわまりないといっているのと対照的だ。日本人の風呂文化は筋金入りだ。一方パリのヴェルサイユ宮殿にはトイレがなくて、皆窓から排泄物を捨てていたということも有名だが、国による価値観・慣習の差に驚く。

日本人ももともと旅行が好きであった。お伊勢参りは江戸時代に庶民に与えられた自由旅行だ。紀貫之の土佐日記は土佐(高知)から京都に帰る途中の出来事を書いた紀行文だし、松尾芭蕉の奥の細道も有名だ。彼らは海外に行けない時代に生きていたが、もし世界中自由にいける時代に生きていたら、どんなに素晴らしい紀行文を書いたのだろう。それを読めないのは残念だ。

よく大事なものはなくなってからわかるというが、自由に世界を旅行できた私たちにとって、これから自由に行けなくなることはどんなにつまらないことだろう。人口がどんどん増え、自然がそれに伴い消え、人間と動物の距離がより近くなるにつれ、感染症はこれからも発生するだろう。人の移動ということが当たり前のグローバルな世界をどうすれば維持できるのか、専門家と政治家のリーダーシップを期待したい。

渕上コラム「変える言葉」