コラム

黒川温泉


先週go to トラベルについて話しをしたので、今回は自宅から車で1時間半程で行ける黒川温泉について話す。私の家から車で1時間半ほどの範囲に日本一になった温泉地が4つある。それは別府、湯布院、黒川、わいた温泉郷である。

別府温泉はいうまでもなく、湧出量世界一などすごい温泉地なので日本一の人気となるのは当たり前なのだが、他の温泉地の事情は異なる。まず湯布院温泉を日本一の人気にしたのは、地元の亀の井別荘の中谷健太郎氏、玉ノ湯の溝口薫平氏、そして夢想園の志手康二氏の3人の努力が基礎にある。ドイツのバーデンバイラー視察の後、それを参考に街作りを始め、その後その努力が報われて日本一の人気となった。大型開発を避けた街作りが功を奏したのだ。

次に日本一となったのが黒川温泉だ。黒川温泉は、山間地の利便性の悪い地にある。当然に人気はなかった。転機となったのは、若い二代目の青年部の存在だ。その中心となったのは温泉旅館新明館三代目の後藤哲也氏だ。魅力のある温泉を作ろうとノミ一本で洞窟を掘り、露天風呂にした。今黒川に行くと特徴のある露天風呂がすべての宿にあり、周りは自然樹に囲まれている。通常の温泉地に行くとホテルの風呂はお客さんが来る前の午後3~4時頃までしか入れないが、入浴する方としては食事前の午後5~6時頃か、夕食後少したってから入りたい。黒川はすべて午後9時まで入れるし、宿泊客用に別の風呂もたくさんあり、日帰り客とトラブルにならないように工夫されている。

しかも黒川温泉の近くには、杖立温泉と内牧温泉という大きい温泉地が二つあった。その対策として、「黒川温泉一旅館」という理念で全宿泊施設が露天風呂を有し、かつ日帰り入浴も出来、温泉手形で割安にいくつもお風呂に入れるという戦略をとり、街全体のイメージを作っていった。それが大人気となった。その山奥という個性を活かして、不便な場所というどちらかというとマイナスなイメージを、自然に囲まれた場所という、ポジティブなイメージに変えたのだ。

新しい街作りには必ず一人、又は数人の未来のビジョンを持った核となる人間がいる。彼らの努力によりそれが全体に普及して、結果として街全体が変わっていく。最初は周りの人は見ているだけ、何もしない。それが次第に全体に伝わっていくのだ。意志がすべてのスタートとなる。

渕上コラム「変える言葉」