コラム

歴史から学ぶ感染症


冬になり再びコロナが流行ってきた。東京・大阪ベースの情報がテレビから毎日流れており、地方にいても都会のイメージに引きずられるところがある。来年はワクチンにせよ、オリンピックにせよコロナ終息の方向性がはっきりしてくると思われる。世界の感染症の第一人者の多くが来年中の終息を予測している。ここで磯田道央(みちふみ)氏の感染症の日本史から学んでみよう。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」である。

実はあまりそういうイメージを持っていないのだが、日本史も感染症により作られているという一面がある。今年の「給付金」「出社制限」「ソーシャルデスタンス」も過去にあったと聞くとびっくりするかもしれない。今はコロナで大変だが、感染症の危機は確実にこれからもやってくるのである。しかも人類が世界中で移動することが当たり前になった現代社会は、そのスパンがだんだん短くなってる。そこで歴史から学ぶことが必要になってくるのである。

磯田氏は「日本を守る」というとき、「仮想敵国」が日本に軍事攻撃してくる確率より、パンデミックで国民の命が奪われる確率の方がはるかに高く、この現実を政治が直視し、ソフトとハードの備えを行うべきだと言っている。確かに私たちが悲惨な戦争と認識しているベトナム戦争でのアメリカ軍の死者は約58千人だが、コロナによるアメリカの死者数は12月3日で27万人を超しており、年内には30万人を超える勢いだ。これは、6年間にわたる第二次世界大戦でのアメリカ人の死者数29万人を超える。

また人の死亡原因は、一番多いのは戦争でも事故でもなく病気であり、その病気にしめる感染症の割合はかなり高い。つまりなかなか老衰という形では死ねないのが現実なのだ。現代人は死とは一定距離をとっている。親との別居、病院での死、冠婚葬祭業者への葬式の外注など死を身近に感じられない状況となっている。コロナは特殊ではなく、これまでもこれからも起こる事であり、正しく恐れ、又は必要以上に恐れないことがひつようとなる、政府も医療従事者への支援など、同じく学んで対応すべきなのだが、まだ言うだけで実施しない。これでは信頼を得られなくなり、政府の言うことを守らないが増加する。きちんと対応して欲しい。

渕上コラム「変える言葉」