コラム

YES or NO


考えると人生はYESorNOの連続だ。よく考えると選択においてYESorNOと言いながら、実はニュートラルというケースが意外と多い。ある事柄について実施するというYESの方針が間違いなく良いと思いながら、大変そうだとか、本当はしたくないし、できそうもないとかなどと、先を考えてしまい対応がニュートラルになってしまう。これでは良い結果はでない。はっきりとYESorNOで対処した方が良い。

別府のAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長である出口氏がこう本に書いていた。「おもしろそうな話しなので、約束に遅刻してきた知人の知り合いの提案されたライフネット生命の設立に関わった。又、APUの学長の公募に友人が推薦してくれたが、断れなさそうなので学長をすることにした。」。普通ならちょっと待って考えさせてというところを人の縁というスイッチが働き、即座にYESを表明することによりステージが変わってしまったということらしい。ただしそのスイッチを入れる前の提案をしてきたのは、出口氏の魅力によるところだろう。そこに旅をしたり、本を読んだりする意味がある。

出口氏は私より3つ上の72歳なのだが、その精神に老化は見られない。彼の辞書に「年齢、定年」という言葉は存在しなそうだ。もともと定年という制度は日本でも明治に導入された制度で、その歴史は130年位しかない。海外では定年のある国とない国があり、その選択は国や国民の考え方や、経済の発展度合い、年齢構成比などにより決まっている。日本も当初は定年制度を入れることは就業規則の絶対規定だったが、今はどちらでも良くなっている。つまり。当たり前の事だが、人というものは100歳まで元気な人も50歳で車いすになッたり、亡くなる人もいて本当に多様性がある。平均値できめることに個人として意味はない。メリットがなくなれば定年も当然に消滅するだけである。毎年就労人口が数十万人単位で減っているが、年齢でなく、就労可能かどうかで判断すれば対応が可能だ。皆一斉にということが日本人は好きだが、それをやめれば多くの問題が解決する。

転勤という制度も、日本では単身赴任がこれまでかなり一般的だ。人生に占める割合が30%に満たない仕事というものが、社員個人の人生を支配する理不尽さを早く解消し、欧米のように希望する者から選ぶべきだ。もしくは現地採用を増やせば良いのだ。社員に必要以上に江戸時代の踏み絵のように強いるやり方は明らかに時代遅れとなっている。日本が世界幸福度ランキングで58位(2019年)からトップ10にいつか入るような状況になって欲しい。それにより国力は上がると考えている。

渕上コラム「変える言葉」