コラム

世代の変化


私は世代の考え方の変化による差異に注視している。なぜなら世代のバックボーンには好むと好まざるとに関わらず、その人が生きた時代の状況が反映しているからである。私の父は優秀であった。満州の建国大学という当時の日本、中国、韓国の英才を集めて教育していた大学の卒業生であった。その父親がいつもいう口癖は「露助は信用できない」であった。つまりロシア人は信用できないということと、もう一つが家を建てる時に、家については自分の寝るスペースがあればよいというものであった。それらの背景には、父親が満州からの引揚者であったということがある。

戦争末期、ソ連が日ソ不可侵条約をおかして満州に攻め込んできた。その後はロシア人の兵士が最初は酒、次は金目の物、そして女と叫びながらずかずか家に入ってきたと自伝に記している。また、満州にあった大きな家が、日本が負けたことにより無くなってしまった。それらの強烈な体験により、私がもう時代が変わったよといくらいってもスタイルを変えることはなかった。日本に帰ってからの生き方も戦争で失われた青春を後で取り戻そうとするような生き方であった。それを子供があれこれ言っても変わるものではない。同様に、今の若い人のことを老人があれこれ言う必要はない。世代間の差は受け入れる以外に方法がないのである。

世界中で今の方が昔より幸福と考える若者が増えているらしい。従って彼らはかなり保守化している。彼らは今の幸福がこのまま続けばよいのだ。今の高齢者世代は敗戦で焼け野原になったところから男は仕事、女は家庭と切り分け、一生懸命働き、テレビ、冷蔵庫、エアコンと家具を増やしてきた。その世代から見るとフリーターは理解できない。一方で今のフリーターの生活は江戸時代の将軍よりも良いともいわれる。自由だし、平穏に暮らせて幸福なのだ。考えてみると、現代はどんな人でも、家に必要な家電がない人は少ないし、また外食産業やコンビニの発達により料理の必要もない。スマホも皆持っている。

以前テレビで人の役に立たない人生を送りたいという話を聞いてびっくりしたことがある。私にとって人生は如何にして人の役に立ちながら自分の好きなこともやるのかというのが前提だったからだ。一見非効率であり、合理的でない部分もありながら、個人の幸福感が高くなることを選ぶ若者も多い。その証拠に奇跡や占いなどを信じる若者の割合がかなり増えているらしい。いつの時代も世代間の考え方の差があるのは当然だとまず認識し、次代を担う若者に期待したい。

渕上コラム「変える言葉」