コラム

オリンピック


8月8日にオリンピックが閉幕した。個人的に総括すると楽しいが残念なオリンピックであった。未来のために観客を入れてやってほしかったが、それでも自国開催のため、多くの競技を楽しむことができた。日本ではこれだけ開催に批判的なオリンピックで、しかも日本でのワクチンの接種も遅れており、かつ緊急事態宣言も出ている。辞退する国が多いのではと考えていたが、海外からは過去最多の205カ国の参加となった。このコロナ過でこれだけの国が参加したのは驚きだ。海外におけるオリンピックの評価は日本と全く違うということを理解した。しかも日本の組織委員会は参加者をどんどん削っていき、選手は選手村にカンズメにされ、施設面でも選手村のベッドは段ボールで、選手が上で飛んで壊すということまで起こった。しかも日本人には自粛要請はあるが、基本的には自由に行動できるのに、来てくれたアスリートたちに対する「おもてなし」は、コンビニに行くことだけでもチェックされることだった。

日本にはオリンピックについてあまり重要なものと考えない国民と、重要だと考えているアスリートがいた。オリンピックに関しては、確かに商業主義など批判は多いが、オリンピックが1896年にアテネで始まって以来、アジアで最初に1964年に68年経過してやっと東京で1回目が開催された。今回の2回目までに56年かかっている。他の多くのアジアの国では望んでも開催されないオリンピックを開催できる矜持を持ちたい。次の開催まで今の若者や子供たちは見ることはない。そういう意味では無観客試合の決定の中で子供たちだけでもサッカーの観覧をさせた茨城県は英断だと思う。オリンピック開催へのこだわりは日本の威信がかかっていたのだ。

また閉会式での次回のオリンピック開催地のパリからの映像には日本との温度差を感じた。日本の開会式、閉会式ともピクトグラムや歌舞伎のようなおもしろいチャレンジングなところはあったが、日本人である私もこれは何だというものが多かった。それに比べてフランスはまだ3年後だが、期待を持たせてくれる映像であった。

毎日1600万人が東京都内を密の中移動している。オリンピック開催で、3万人の人が来るとより感染拡大するにちがいないという理屈はどこから発生するのか理解できない。発表にも意図を感じる。オリンピック関係のコロナの感染者、死亡者などは累計で発表し、東京都の感染者数は日単位で発表していることだ。一度4人に1人がかかり、毎年40万人弱が死亡するガンについてコロナと同じようにテレビで扱ってみたらどうだろう。どういう結果になるのだろう。

渕上コラム「変える言葉」