コラム

塩野七生


テレビに出演したり、人前で講演をあまりしない塩野七生(ななみ)さんがBSで高校生と対談しているのを見た。ローマ人の物語(全43巻)は、セミナーで経営者が読むべき本として、参加したセミナーの2人の講師が話していたので、10数年前読むことにした。読み始めると引き込まれていき、きがつくと全巻を読んでいた。最初は文章から男性と思っていたが、女性だと知ってびっくりした。文章の歯切れの良さから勘違いしていたのだ。

ローマという人類史上最も長く続いた帝国の繁栄・衰退には学ぶべき事が多い。まさに、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということを教えている。もっともこの言葉はドイツの宰相ビスマルクの言葉で、彼は「時分の手痛い失敗より、他人の失敗に学べ」と言ったそうだがそれはいいだろう。言葉というものは、最初の言葉より洗練されて本質をよりよく伝えることもあるからだ。

彼女が高校生に話していた内容に、人生で一番大切なことは教養だという話しがあった。そしてその教養は本を読むことでしか得られないとも言っていた。なぜなら何人分もの人生を一人が経験することはできないからである。人は己の経験が基本すべてである。従って他人の痛みや気持ちを理解するには、多くの苦労・困難に立ち向かい経験値を上げていくしかないが、大変なことはしたくないという人にとっては自分自身を高めるすべはますますなくなっていくしかない。

本の価値を知るには、自分で本を書いてみることが一番良い。自分で書いてみると、自分の考え方が整理され、足りないものも理解し、それを埋める作業とそれを伝える作業をすることになる。

私たち日本人は戦争もなく、食べることも出来る比較的自由な時代を生きているが、歴史を見ると、こういう時代がいつか終わりを迎えることもありえると理解できる。そうしないためには、現在の状況に甘えることなく、未来のために何が出来るかを多くの人(本)から学んでいかないといけない。仕事についても同じで、やっつけ仕事ではなく、未来を支える仕事に取り組んで欲しいと考える。時代は必ず変わるのである。進歩するか、戻るか、私たちの努力にかかっている。

渕上コラム「変える言葉」
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新型コロナウィルス


今、新型コロナウィルスの脅威が連日テレビでニュースやワイドショーをにぎわせている。いつものことだが、新しい得体の知れない不安に接すると人はパニックに陥り、正常な判断ができなくなることが多い。こういう新しいものへの対応はお国柄がでる。日本はどちらかというと必要以上に神経質になる傾向があるようだ。私の住んでいる県は一人も感染者が出ていないのに、娘の住んでいるマンションを尋ねるとエレベーターに乗ってきた人は、ペンで行き先階を押していた。日本人はしないよりしたほうが良いからするという発想が多い。

一方アメリカでは新型インフルエンザで14,000人がすでに死んでいるが、この中には新型コロナウィルスで死んだ人も含まれているのではという意見がでてきた。しかも現時点でもまだ明確でない。これに対しヨーロッパでは注意はするが、必要以上に気にはしていないようだ。まずマスクを付けている人があまりいない。マスクを付けるのは病人と相場が決まっているからだ。確かに国の対応としては、早めの対応や慎重な対応が求められるだろう。しかし、その対応は臨機応変でなければならない。なぜなら新しい脅威は本質がわかっていくにつれ変化していくからだ。政府の対応も少し柔軟性を欠いている気もする。

しかし、視点を少し変えて見ると違った状況が見えてくる。日本だけで毎年風呂で亡くなる人は約6,000人、しかし実数は2万人弱とも言われている。交通事故で亡くなる人は世界中で1年に135万人とWHOが発表している。それでも私たちは風呂に毎日入るし、車も運転する。新型コロナウイルスだけでなく、私たちが生きていくことはリスクに満ちているのである。

行動経済学では、「人は理屈で動くのではなく、感情で動く」と言うが、まさに新コロナウイルスはそういうことを具体的に示している。新コロナウィルスの正体がだんだんわかってくるにつれ、冷静なそして科学的な根拠に基づく対応が必要になる。合理的な考えをしないと、適切な対応が出来ず、人災が避けられない。風評被害が起こるのは事実が理解されず、感情に左右されている証拠だ。福島原発事故の対応に関して、故吉田昌郎所長の壮絶な戦いが映画になっている。しかし、彼の場合は目の前の福島原発のみへの戦いだが、今回のコロナウィルスは日本全国での対応になる。誰が中心で取り仕切っていくのか私には見えないのだが、国としての対応が適切でないとダイヤモンド・プリンセス号の二の舞になるが、今後どうなるのだろう。

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再現力について


その道の著名な講師のセミナーに参加すると「こういうふうにすればできるよ」という話しを聞く。そして会社に戻ってから同じ事をするが結果を出せない。こういう人が多い。再現性(再現力)というのは、他の人が実行して成功したシナリオを同じように実現できることを言い、その再現力こそが人の実力を測るバロメーターとも言われる。

有名な経営者も同じで、稲盛和夫氏はもともと京セラの創業者だったが、KDDI,そして日本航空の再建にも手腕を振るった。彼は経営者として再現力を持っているので業種が違っても、また再建という特殊な環境にも対応できるのだろう。

経営者に限らず一般の社員の中にも実力のある人は少なからずいる。彼らもまた再現力を持っている。冒頭に記した結果を出せない人々は、実は講師の話した内容を同じようにしているつもりなのだが、実は本質部分を理解できていないために結果を出せないでいるのだ。同じ話を聞いていても、そこから導き出される結論が異なる。これはどうすれば解決できるのだろうか。それはPDCAの実行しかない。

人は皆それぞれの経験・価値観・学んできたことなどにより物事のとらえ方が異なる。
違うことは悪いことではない。すごく細かい違いがパワーを生む時代だ。問題はそれを生かせないことだ。例えば、「こういうセミナーを開催すると客はくる。」と講師がいう。聞いた人は帰ってから講師のいったとおりにセミナー開催のパンフを作成し、配布する。本人は講師が言ったとおりにしているつもりだ。ここで考えなければいけないのは、講師のいった話の本質への理解だ。そしてその本質を理解した上で自分の住む地域に当てはめていくことだ。ピカピカの靴で背広でびしっと決めて営業しなければいけない土地柄と、そうすると逆に警戒される土地柄があるとする。講師の話を自分の対象の顧客に当てはめて作り直さなければいけないのに、いやこうしろと言ったと主張してピカピカの靴とスーツでは警戒されるのに行ってうまくいかないということもある。

ここで料理のケースを考えて欲しい。まず万人に受ける料理というものは存在しない。どんなにおいしい三つ星のシェフが作る料理も、ベジタりアンは肉料理も魚料理は食べない。ムスリムなら豚が少しでも入っている料理は食べない。和食の刺身も少し前までは生魚は食べない世界の慣習の中では敬遠されていた。それが世界で食べられるようになったのは、世界が近くなり、多くのカルチャーに接することができるようになったからだ。目の前のことも実は日々変化している。本質を見ないと何も出来ない。

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RPA(ロボテック プロセス オートメーション)


RPAというもののイメージがつかめないので、セミナーに参加してみた。そこで感じたことは大きなテクノロジーの進歩が土台となり、小さな多くのテクノロジーの開発により、世の中の多くのことが相乗的に変わってくる可能性があるということだ。土台となる5Gが当たり前になり、AIが普及するにつれ世の中が変わっていく基礎が出来る。ある程度の期間が過ぎると、結果としてかなりの変化が起きると思われるが、それを実現し支えるのはRPAなどの小さなテクノロジーの集まりだ。

RPAはもともとオフィス業務の自動化・効率化をする仕組みだが、簡単なものから複雑なものまでさまざまなものがあるようだ。大企業ではすでにかなり積極的に導入されており、かなりの成功例もあるようだが、専門のSEがいないと難しいようだ。中小企業ではこれからだ。政府の働き方改革の実現は、ただ定時になったら電気を消すというようなどちらかというと無理矢理なんとかしようというやり方より、RPAなどを普及させていくことの方がより現実的で具体性がある。もちろん無理矢理というやり方も仕事に優先順位を付けさせるという意味では有用ではある。このRPAを使い、一つの作業で仮に5分短縮できれば、10人いる職場では50分、100人いれば500分の短縮になる。短縮できる作業を1つから10,20と増やせば当然にその効果は増大することになる。その結果同じ成果をだしながら、仕事は早く終わるということになりうる。

経理・総務の世界で言うと、すでにパソコンの導入、インターネットバンキング、自動仕訳、各種の新しいソフト、RPAと効率化ができる素材が目白押しだ。これを妨げるのは新しいことはやりたくないという常に出てくるつぶやきだ。結果としてかなり短縮されるとしても、そのためには今ある仕事をこなしながら新しいことをしないといけない。それが嫌というのだ。これを聞くと朝三暮四という中国の故事を思い出す。

これは飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に3つ、暮れに4つ与えるというと猿が少ないと怒り、朝に4つ、暮れに3つ与えると大変喜んだというもので、目先の利害のとらわれて、結局は同じ結果になるのに気がつかないという意味だが、目先の事にとらわれて未来のことをおろそかにするという意味では同じと感じるのだ。

松下幸之助氏がこう言っている。「志低ければ、怠惰に流れる。」とうざのことで物事を判断していけば、結局今のままがよい、何もしないがよいとなってしまう。未来を見据えた使命感をもつことが目先の損得よりよい結果をもたらすと信じる。

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雇用が変わる


今日の合同新聞の朝刊に「経団連が脱終身・年功に本腰」という記事が載っていた。しかし、終身雇用・年功序列というものは制度ではなく、日本的な風土だ。なぜなら就業規則にはどこにも終身雇用とか年功序列という記載はない。考えてみれば、「会社の寿命は30年」とも言われているし(実際半数の企業はそれまでになくなっている)、まず入社して定年で退職するまで40年以上あるとすると、まず終身雇用と言っても会社がなくなってしまう。終身雇用という言葉だけが一人歩きしている感もある。

年功序列というのも、日本の企業は社員を評価するのが苦手だし、高度成長の時代は、従業員も皆給料があがるので、評価しなくてもすむ年功序列というイメージをとっていたにすぎない。それで社員は特に不満は持たなかった。しかし、時代が変わっても企業は新しい制度に取り組むのが苦手なのか、形だけがそのまま放置されている。実際は収入の増えない中小企業では給料も上がらないし、賞与が支給されないケースも多い。すべては業績次第なのだ。働く人の多くが望むと思われていた終身雇用・年功序列という旗を上げないといけなかっただけだ。これからはどうだろう。

メルカリの代表者山田進太郎氏の話しをテレビで聞いた。一番びっくりしたのは仕事に人を当てはめることはしたことがなく、しないといけない仕事をしたい人にまかせているだけだという発言だ。日本企業は基本的にいろんな仕事をさせることで能力を上げる職能給だが、山田氏のやりかたは人と仕事をマッチングさせるアメリカで採用されている職務給に近いと感じた。そしてその人材のすごさにまたびっくりした。しかも皆若い。

村上龍氏の後記で「彼は新しい経営者だ。会社も新しいスタイルの会社だ。働いている社員ともフラットな関係で、上も下もない。顧客でさえ普通の顧客と言うより同志のような関係だ」と述べている。これまでの日本企業は、新しい業務をすべて自前でまかなおうとする。

新しい業務にそれをやりたい人で、かつそれをやる能力がある人を集めて当てる。すごく難しいことだが、メルカリは人材のブラックホール(優秀な人材をどんどん吸収していく)と言われていて、それが可能になっている。そこには山田氏の経営理念や働き方に対する新しい考えがあると思われる。経営理念が未来を左右することは間違いないが、業績を上げていかないと理念の実現、従業員の待遇アップはできない。

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評価


社員を評価する場合にいつも感じていることがある。それは大企業と中小企業、そして零細企業の評価方法というものは全く違うということだ。最近話題の橘玲氏の「事実vs本能」という本に、私たちの常識が様々なデータを取ってみると事実と全く違っているということが書かれている。

例えば、①日本人のおよそ3人に一人は日本語が読めない。②日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。③パソコンを使った基本的仕事ができる日本人は1割以下しかない。④65歳以下の労働力人口のうち、3人に1人はそもそもパソコンを使えない。などと書かれている。このデータは、PIAAC(先進国の学習到達度調査の大人版)が16歳から65歳を対象に仕事に必要な「読解力」「数的思考力」「ITスキル」を測定する国際調査であり、この笑えない冗談かと思う事実(ファクト)にびっくりする。

またそれでも日本人の成績は、すべての分野で先進国で1位という事実にもう一度びっくりする。世界に起こる様々な出来事はこういう事実を認識せずには理解できないし、解決できないのではと思ってしまう。

評価に関して言うと、「評価する」ということは、今からの時代避けては通れない。これまでは皆で遅くまで残業をしていた。中には早く終わっているが、帰ると言い出せないので皆が終わるまで待っている者もいるだろう。仕事の内容や状況で人により差が出るのは当たり前だ。しかし、これまでは他の皆が残業しているのに一人だけ早く帰ると上司から文句を言われていた。しかし、早く帰る社員が残っている社員と同じ成果の仕事をしていれば、彼は余分な電気代、残業代を支払わずに同じ成果を上げた良い社員ということになるが、それを評価をしないと単なる和を乱す✕社員となってしまう。

これからは時間ではなく、成果で評価する時代にしないと早く帰る社員は増えない。つまり働き方改革は達成できないことになる。有給休暇も同じだ。休みを取らない社員が評価されれば、皆休みは取りにくい。ちゃんと休みをとって成績を上げることが評価されれば皆休むようになる。ただし、こういう簡単な理屈も理解できない社員は必ずいるので(PIAACからもわかる)、事実を理解した上での対応が必要になることになる。

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お金2.0


佐藤航陽(かつあき)氏の「お金2.0」という本を読んだ。最近注目されている若手の経営者で、新しい時代の考え方を教えてくれる。私たちは今に生きており、今の仕組みやサービスが当たり前と思って仕事をし、生活をしている。 しかし、その多くはたった100~200年前には存在さえしなかったものばかりだ。

多くの現在のテクノロジーは産業革命後に生まれた。同じように今当たり前と思われている中央銀行制度も当たり前でない。逆に国家が中央銀行を経由して通貨をコントロールすることは実体経済に悪影響を及ぼすと主張する学者もいた。その欠点を補うビットコインなどは論理的には非常に優れた性質を持ち、既に30兆円位の規模があるらしい。しかし、私もそうだが新しい仕組みは新しい思想を持っているため、それを受け入れるのはそう簡単ではない。知識がある人ほど新しいものを理解するのは難しいらしい。政府も同じで簡単には変えようとしない(それは既得権を手放すことになる)だろうが、それをも時代はいつか越えて行く。

さて新しい経済ルールの中で、私たちはどうしたらいいのだろうか?こういう場合は原理原則に帰ることになる。企業経営における原理原則を佐藤氏は「3つのベクトルにより未来の方向性を決める」と述べている。3つのベクトルとは、①お金(経済)、⓶感情(人間)、③テクノロジーだ。

一番強いのはお金だ。なぜなら人は食べて行かないといけないからだ。しかし、そのお金でも人の感情を無視しては持続することができない。お金の次に強いのは感情だ。少し前から人間は理屈ではなく、感情に左右された行動を起こすという行動経済学の本が多く出版されていることからもわかるように感情それから起こる人間関係というのが重要なファクターになる。最後のテクノロジーはこれを重視する人が少ないファクターだ。ただ、テクノロジーは大きな変化のきっかけになる。かつ、一つの発明が次の発明を連鎖的に引き起こしていく。例えば、ネットに接続されたデバイスとデータがあふれたことにより人工知能の進歩がある。最近はこのテクノロジーの影響力が徐々に強まっている。これらを「世の中は連立方程式のようだ」と竹中平蔵さんがいっている。案外近い未来にはお金より人生に意義をもつことが「価値」になる時代がくるかもしれない。

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さざれ石


今年の正月は宮崎県日向市の大御(おおみ)神社に初めてお参りに行った。というのは、去年のラグビー日本代表がお参りしたことで有名になった事と、国歌に出てくる日本最大の「さざれ石」がある神社であり、大分から片道2時間と割と手軽だったからだ。 さざれ石とは、もともとは小さな小石のことだが、その小石が長い年月をかけて一つの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩(かくれきがん)」を歌詞でいうところの「巌」というらしい。

神社にそう変わりはないと思って行ったのだが、良い意味で予想を裏切られた。大御神社は太平洋を望む海沿いの大変気持ちのよい高台にある。風水もよいのかなどと考えながらお参りの行列に並んだ。長い行列であったが、舞台では舞を舞っているし、太平洋の押し寄せる波(宮崎はサーフィンのメッカである)を見ながらで退屈せずにすんだ。境内の隣には鵜戸神宮の摂社もあり、岩の間には社もある。神道は巨岩や海、巨木などの自然に存するものを神様として祭っているものも多く、それが日本人の心に不思議と共鳴するような気がする。また神道は宗教色を極力消している。そのためか日本人は尋ねると無宗教と言うが、神社はコンビニよりも多く約8万件全国にあり、お寺も8万件弱ある。両方で約16万件になる。すごい数だ。
 
現代は新しい状況・技術・考えが沸くように生まれていて、世の中知らないことだらけだ。また知っているつもりでも四季に生きる木々のようにその時期・時代により変化していく。今年の課題(テーマ)をどう捉えていこうかと考えた。そのためには自分の経験だけでなく、他者の経験を取り込んでいく必要がある。いわば言葉による疑似体験である。しかしこれが不得意な人が多い。自分の経験だけで物事の判断をする。そしてその自分はほとんどチャレンジをしたことがなく、失敗=ネガティブイメージだけで生きている。そういう人の判断はほぼ何もしないという判断になりがちである。そしてそのうちに時代から外れていくことになる。

挑戦、失敗は成功の種である。失敗をせずに成功した人はいない。日本のトヨタ、アメリカのアップルでさえ、一度はつぶれかけている。2020年オリンピックの年、働き方、若者の意識、AI、スマホ、SNS、世の中を大きく変えるものに満ちている。私は思ったほど才能がないと感じているが、思ったよりもチャレンジングであるとも感じている。止まってはいけない。質を変えていかなければならない。良い年を作ろう。ちなみに私のおみくじは久々の大吉であった。感謝!

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本当に変わるには?


早いもので令和元年の仕事も今週で終わりだ。近年経営で最も大きく変わったことは、人口減少に伴う人手不足だ。どの企業の話を聞いても異口同音、「人がいない」という。人がいないために24時間1年365日店を営業していることをポリシーとしていたコンビニも時間短縮や休みをとるようになった。結果としてこれは良いことかもしれない。

しかし今の人手不足は5年程度続くが、10年後にはまた状況が変わるかもしれないと言われている。AIの進化で今度は人が余るのだ。2008年のリーマンショックの後を思い出してほしい。人余りだった。2000年あたりもそうだったし、考えてみれば日本経済は人余りと人不足を繰り返している。

人が不足すれば、それに対応する新しいサービスができる。人不足がひどいほどその導入に拍車がかかるのだ。そうすると人を減らすサービスが功を奏し、結果、今働いているサラリーマンの多くが職を失う。最近でもメガバンク三行だけで、3万数千人が減らされる予定だ。中小企業は経営者が何とか頑張って雇用を支えているが、従業員も変わらないと結局支えきれない。
 
これからのAIを利用する時代に必要な社員はどういう社員なのだろうか?実は各業界で共通していることがある。それは企業の理念に従って、自ら仕事をつくりだす社員だ。仕事を作り出すとは顧客にもっと役に立つ仕事に変化するということだ。それが結局社会をよりよくする重要なファクターになる。時代はどんどん変化するが、多少の行き戻りがあっても必ず進歩する。まだ問題は山積みだが、統計によると現代は希望に満ちた時代なのだ。

企業の運営も、独裁的な企業からできるだけ民主的な運営へ移行する。これができる組織は良好な企業になる。なぜなら、今からの優秀な社員と言うのは自分を成長させてくれる企業、ステップアップできる企業に入りたいからだ。社員は一つの企業に隷属的に雇用されるのではなく、互いに互恵関係にある必要がある。いつも怒鳴られながらやらされる企業で働くか、自ら進んで仕事にチャレンジしながら成長していく企業で互恵的に働くかチョイスだ。しかし、怒られないでかつ互恵的でなくて働ける企業はないことは存在できないことも理解しないといけない。来年はどちらをチョイスするのだろうか?

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事業性評価とモニタリング


金融庁の地域金融企画室長の日下智晴氏の講演を聞いた。金融検査マニュアルと言う金融機関を縛る仕組みが平成11年7月に公表されて、20年後の令和元年12月にマニュアルが廃止される(予定)とのことだ。この間は20年続いた不幸な時代であり、つまり大量の不良債権を抱えた金融機関を外科的手術により再生させる手段だったらしい。

日下氏の話を聞くと、金融庁は、本来リスクを取るべき金融機関に「リスク」という観点で改善を迫った。その結果金融機関は思考停止に陥ってしまった。本当は上手にリスクを取るやり方を教えるべきだったと話していた。

金融機関には他の業種にはできない優れた役割がある。それは他の会計事務所やコンサル会社で仮に改善のための計画を作ったとしても、それにお金が付かないと実行ができないことが多く、どうしても根本的な改善よりも、資金需要をもたらさない節約志向の部分的な改善になってしまう。しかし、金融機関は違う。事業性評価を行い、改善計画を立て、それに融資をくっつけ、それをモニタリングすることで企業に他の業種ではできない大きなインパクトを与えることができる。これが本来の金融機関の役割だろうと話していた。

考えてみると、専門業種というものはそういうものだろう。弁護士は法律の専門家だ。税理士は税務の専門家だ。しかし、その本来の業務にばかり注力していると成長はできない。その本来の業務から派生した次の時代の成長の種を育てないといけない。その種が次の時代の成長を支える。金融機関の事業性評価によるモニタリングがそうだし、税理士における経営改善計画とMAS監査もそうだ。コンサル会社も実効性のある方法を選び始めた。次の時代が必要とする結果の出るやり方、仕組みを必要としているのだ。

どんな業界でも、必ず大きな視点をもって仕事をしている人はいる。できれば、生計の手段としての仕事から脱し、社会に有益な仕事に一生をささげたいと思わせていただいた日下氏の講演であった。

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