コラム

親子の距離


弊社も設立30年を6月に迎える。大学を出てから、長男だからと親の呼びかけに応じ事務所へ戻ったが、親は何一つ約束を守らず、仕事に関する考え方も全く違ったため、5年後に会社を出ることを決意し伝えた。そうするとその時8名いた社員をお前が辞めたら全員解雇して事業をやめるといわれた。つまり、社員を人質に取られたのだ。やむを得ず8年ほど何もできない不遇の時間をすごした。

世の中の親は2通りあると思っていた。子供を甘やかす親と、厳しく接する親だ。どちらも子としては理解できるが、現実はこの二通りだけではない。さまざまなバリエーションがあり、子供たちを悩ませる。また親の外面と内面の違いも対応が難しい。結局、親には子供は勝てないと理解すべきだ。ここを理解している子供は、親に事業に帰ってくれれば、すべてまかせて自分はリタイアすると言われていても絶対に戻らないで、親と同じ事業を別の場所で始める。

私も年齢が上がり、ぼつぼつ親にリタイアしてもらうことを考えた時があるが、見事「生きててもしょうがないな。死のうかな」の一言で撃沈された。しないことはわかっているが、子としては、それを言われれば何もできない。考えてみれば親も親は初めて演じるわけである。戻った子は自分の将来の飯の種なのである。それは昔からそうだった。たくさんの子は親の年金の代わりだ。

お客さんを見ていて、公務員のような定年が明確にある仕事の人は貸家などのリタイア後の収入をある年齢から準備している人が多い。ところが医師や税理士などの個人事業者は何の準備もしていない人が多い。年金も国民年金でもらう金額は生活費にたりない。これは国の考えとしては、個人事業者は定年がないので一生働けるからそれでいいだろうということだ。また事業者本人もそのつもりだが、現実は無理である。農業のようにできることを手伝えるような仕事ならよいが、現代はもうやっていることが50年も経つと陳腐化して役に立たない。わかりやすく言うと、パソコンもスマホも触ったことがない人が、どうちゃんと働くのだろう。

40歳の時に親は死ぬまであれこれ言って対応しないと諦め創業した。またその時に、あれこれ口を出し始め、結局私に大きな損害を与えたが、断りも詫びもしない。でも今考えると親は子に謝らないし、その必要もないと理解した。子がそれに対応するしかないのだ。本当に親と子の距離感は難しい。

渕上コラム「変える言葉」