コラム

そうだ、旅に出よう


Go to travelの影響か、コロナ疲れの影響か、人が観光地に戻りつつある。しかし慎重な日本人らしく、まずは近場からと言う感じで、遠距離の旅行に使う航空機はまだ空いているような状況だ。

人生を豊かにするためには、昔から「人、本、旅」が必要だと言われている。人生を豊かにするには、「本を持って、旅に出て、人と会う」ということが重要だということだ。今は「旅」だ。江戸時代には、当時の人口の6分の1に当る400万人が1ヶ月以上かけてお伊勢参りに出かけていた。しかし、現在はそんな日数旅行するということはとても考えられない。それは戦後の製造業をモデルとした休むことは悪であるという価値観を平成、令和と時代が変わってきても維持し続けているからである。

1年間は8760時間である。このうち、仕事は240日(弊社の場合)×8時間で、1920時間である。つまり約22%が仕事の時間というわけだ。残業が多少あるとしても、30%に満たない。この30%未満の仕事をする会社が人生のすべてを支配している事になる。人生の時間の多くを共有する配偶者よりも仕事が優先するというのは合理的な思考ではない。私が若いときにTVで、仕事をしている夫に、妻からとにかくすぐ帰ってきてという電話をさせる。仕事を一生懸命やるアメリカ人でも、外国人は皆すぐ仕事を辞めて帰っていた。それに対し、日本人は仕事をできるだけ早く終わらせてから帰ると言い、帰らない。それをまじめな日本人と褒めていた。

また海外旅行に行くと、外国人の旅行者は、若いカップル、職場の友人など働き盛りの人が多く旅行しているのに対し、日本人は高齢者のカップルやグループ、それに若いカップルが中心で、働き盛りで一番海外に行って社会を変えないといけない人が見当たらない。そのため日本の政策は進歩があまりない。働き盛りの人に「人、本、旅」という人生を豊かにするパーツが欠けているからだ。

今のgo to travelはコロナが原因とはいえ、日本人に人生を豊かにする旅を政府が初めて提供している。日本の世界における経済の地位は下がる一方だ。その一因として社員が社内の飲み会をたびたび強要されることにより、いろんな人に会う「人」の縁をカットされている。多くの残業を強いれば、「本」を読む時間を作れない。有給休暇のまとまった取得ができなければ、ちまちました旅しか出来ない「旅」のカットとなる。これでは未来がない。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

人生の目的と仕事


「あなたの人生の目的は何ですか?」と聞かれて「これこれです」と答えられる人はあまりいないと思われる。しかし、目的があった方が自分の人生に達成感は得られる。目的があれば目標は自然とでてくるし、目標があると人は前に進むようになる。つまりより前向きに学び、よりよく働くことにより、より社会に貢献し、自身の能力を磨くことが出来る。そういう人は魅力的だ。起業家などがもてるのはそういう魅力を持てるからである。特に若いときに目的・目標がないと自らの能力を磨き、社会のために役立てることができない。これは大きな損失である。

福沢諭吉の言葉に、「進まざるものは必ず退き、退かざるものは必ず進む」というものがある。多くの人は今のままで良い、つまり現状維持を望むらしいが、それは不可能である。子供じみた考えである。日本三大随筆の一つである。鴨長明の方丈記にも「世のすべてのものは常に移り変わり、いつまでも同じものはない」と書かれている。仕事においても同じで、会社とそこで働く従業員が現状維持を願った段階で、あっという間に時代遅れになってしまう。変えてはいけないものは仕事の中身ではなく、理念である。普遍的な理念を持ち、仕事は時代にあわせて変えていかないといけない。

普遍的な理念と言うと、明治に新しい考えや言葉が入ってきたときに、偉人はその言葉の本質を見抜き、日本語に訳している。例えば、「freedom」という言葉だが、福沢諭吉が「自由」と訳し、「心身の働きをたくましくして、人々が互いに合い妨げず」と規定している。社会、幸福、家族と日本語に訳したのも諭吉である。

少し横道にそれるが、「愛」という言葉は明治以前にはなかった。仏教用語の「愛」はあったが、それ以外は、「恋」、「色恋」くらいであり、西洋的な意味での愛はなかった。日本で初めて「愛」という言葉を使ったのは二葉亭四迷である。「浮雲」の中で最初「ラヴ」と表記し、その後「愛」と書いた。二葉亭四迷は英語の翻訳の中で出会った一節にも悩んで、「I love you」を、「死んでもいい」と訳した。夏目漱石は、同じ英語を「月が綺麗ですね」と訳したと言われている。そのセンスはすごいと思う。

つまりそれほど言葉とは後の時代に影響を及ぼすものなのだが、考えに考えた経営理念の言葉を大事にできない企業・社員の未来は暗い。もっと言葉に力を与えるべきである。それができるのは人しかない。良い言葉・理念は人生の宝物である。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

わいた温泉郷


今回は先週紹介できていなかった熊本県の小国町にあるわいた温泉郷について話す。実は私はここに40年程前から時々遊びに行っていた。近いので日帰りばかりであるが、涌蓋山(わいたさん)のふもとに、はげの湯、たけの湯、山川温泉、麻生釣温泉など六つの個性豊かな温泉が散在している。里山ののどかな雰囲気の中、いろんなところから蒸気が噴き出している光景はなかなかユニークである。この自噴する蒸気を使った蒸し料理も有名で、食材を持っていって自分で蒸すことも出来る。はっきりいってすごい山の中であり、温泉も点在しているので昔はぱっとしなかった。しかし全国の温泉地・観光地と同じように、施設、道路、温泉地全体の整備により、今はなかなかユニークな温泉地となっている。

ここの特徴は、湯布院や黒川と違い、特定の宿泊施設のリーダーシップによって知名度が上がったと言うよりも、本当に大自然の中にそれぞれの温泉地、施設が自由に展開していっていたが、核となる施設の登場により、一気に知名度が上がったようだ。とにかく各温泉地の癖が強い。

わいた温泉郷は、「豊礼の湯」という大きな駐車場がある温泉場が中心だ。お湯はホワイトブルーで蒸場もある。山翠という旅館は山の中なのに伊勢エビ料理が有名だ。当然に名物の蒸し鶏料理はある。しらはなシンフォニーという宿はおばあさんが作る絶品の山菜料理が有名だ。何を食べてもおいしいし、広い硫黄温泉も貸し切りだ。

変わったところでは、守護神温泉という宿は、全室が一戸建てで、温泉付しかも入る度に新しく温泉を入れかえるというスタイルで、その温泉からは絶景の谷と山が見える。しかも大きなテレビやワインやお茶のサービスもあり、カップルや家族でゆっくりするには最高だ。食事は一切ついていないが、電話で注文すれば宿まで配達してくれる。麻生釣温泉も露天風呂付で、食事はつけてもつけなくてもどちらでも出来る。つまりわいた温泉郷はその異なった個性により宿泊者の多様性への対応ができるのだ。

日本は、先進国の中でずば抜けて森林割合が高い。約68%が森林だ。大都市からも1~2時間車走れば森の中を歩ける。これに対しアメリカは森林割合は34%しかない。日本の人気の温泉地は自然の中にあり、車の便が良いという特徴がある。日本人は有史以来森に囲まれて暮らしてきており、そのDNAのせいか自然の中に行くと安らぐのだ。次の休日は是非森の中の温泉地へ出かけよう。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

黒川温泉


先週go to トラベルについて話しをしたので、今回は自宅から車で1時間半程で行ける黒川温泉について話す。私の家から車で1時間半ほどの範囲に日本一になった温泉地が4つある。それは別府、湯布院、黒川、わいた温泉郷である。

別府温泉はいうまでもなく、湧出量世界一などすごい温泉地なので日本一の人気となるのは当たり前なのだが、他の温泉地の事情は異なる。まず湯布院温泉を日本一の人気にしたのは、地元の亀の井別荘の中谷健太郎氏、玉ノ湯の溝口薫平氏、そして夢想園の志手康二氏の3人の努力が基礎にある。ドイツのバーデンバイラー視察の後、それを参考に街作りを始め、その後その努力が報われて日本一の人気となった。大型開発を避けた街作りが功を奏したのだ。

次に日本一となったのが黒川温泉だ。黒川温泉は、山間地の利便性の悪い地にある。当然に人気はなかった。転機となったのは、若い二代目の青年部の存在だ。その中心となったのは温泉旅館新明館三代目の後藤哲也氏だ。魅力のある温泉を作ろうとノミ一本で洞窟を掘り、露天風呂にした。今黒川に行くと特徴のある露天風呂がすべての宿にあり、周りは自然樹に囲まれている。通常の温泉地に行くとホテルの風呂はお客さんが来る前の午後3~4時頃までしか入れないが、入浴する方としては食事前の午後5~6時頃か、夕食後少したってから入りたい。黒川はすべて午後9時まで入れるし、宿泊客用に別の風呂もたくさんあり、日帰り客とトラブルにならないように工夫されている。

しかも黒川温泉の近くには、杖立温泉と内牧温泉という大きい温泉地が二つあった。その対策として、「黒川温泉一旅館」という理念で全宿泊施設が露天風呂を有し、かつ日帰り入浴も出来、温泉手形で割安にいくつもお風呂に入れるという戦略をとり、街全体のイメージを作っていった。それが大人気となった。その山奥という個性を活かして、不便な場所というどちらかというとマイナスなイメージを、自然に囲まれた場所という、ポジティブなイメージに変えたのだ。

新しい街作りには必ず一人、又は数人の未来のビジョンを持った核となる人間がいる。彼らの努力によりそれが全体に普及して、結果として街全体が変わっていく。最初は周りの人は見ているだけ、何もしない。それが次第に全体に伝わっていくのだ。意志がすべてのスタートとなる。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

Go to travel いよいよ


ゴーツートラベルはこれまで批判されてきたが、やっとその効果が出始めてきたようだ。最初は国民も慎重だったが、シルバーウィークの人出や10月1日からの東京参入を考えてみると、コロナがまた爆発的に増加しない限り、これからの効果は期待できると感じている。マスコミや野党は批判をするのが好きだし、結果がすぐでないとまた文句をいうものだが、うまくいったときでも良かったとは言わないのだろう。他の方法の方がもっとよかったのではないかと立証できない話しばかりを言いそうだ。

私がゴーツートラベルを押すのはまず私が大の旅行好きだからだ。好きな旅行をして、安く泊まれる。こんなことはもう二度とないだろうと思っている。しかも都会と違って地方の観光地について今3密はない。そのわけは、特にgo to トラベルに参加する宿泊業者はコロナ対策には必要以上に配慮している。そこが死活問題だからだ。またコロナは基本的に人口密度が関係する感染症であり、東北地方の感染者が少ないのは人口密度が低いからである。山陰地方でも都会から大挙してこなければそう発生するものではない。つまり地方へ旅行することは逆に安全なのだ。

これまでは普段はなかなか泊まれない良い旅館・温泉の予約が割と簡単にでき、かつ安く旅行でき、人出も少なく、コロナの影響もほぼないだろうという事が、今回のシルバーウィークを過ぎて多くの国民に理解されてきた。これからは観光地も秋の観光をきっかけに人があふれてくる可能性は大きい。

国の方針は、最初はとにかくステイホームだった。それが3ヶ月以上続くと、逆にゴーツートラベルで県を超えて旅行しましょうといっても、簡単には気持ちの切り替えができない。その証拠に、私の友人で自治会の会長をしている人と旅行する約束だったが、自治会の上の方から、「他県への旅行は自粛しましょう」と8月末に話しがきたとのことでやめてしまった。年寄りはよく言うと慎重、悪く言うとネガティブなのだ。最初の国の方針を、国が方針を変えても守る。熱中症対策でマスクはいいよと言ってもダメなのはそういう感性だからだ。

コロナの難しいのは、ネガティブな方針の方が受入れられるという事だ。感染症だから2メートルのソーシャルディスタンスをとればそれでOKだ。でも日本人は用心のためとマスクをしている。これを私は、「昔の武士の侍方式」と言っている。10月からが、本当の経済と感染症予防の共存が問われる。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

コロナ下のM&A


コロナは日本で感染者の増加と減少を繰り返しているが、そういう状況下でM&Aはどうなっているのだろうか?実は増えているのである。正確に言うと大型案件は減っているが、小型案件が増えている。最近は県や商工会議所などM&Aの推進により力が入ってきている。売上減少により廃業するなら売って、事業をつなげようとしている。

コロナの蔓延で2つの大きな流れがでてきたように感じる。この流れは企業のあり方や、社員の働き方を変える可能性がある。一つは、テレワークである。これは時間に縛られた、かつ社員の管理を主体とした仕事のやり方を大きく変えるものだ。基本的に日本の働き方は硬直的だ。ピラミッドを主体とした組織運営は時代遅れになっているのだ。日本の企業は江戸時代の参勤交代と同じように、まるで働いている社員のエネルギーをそぐことに注力しているみたいだ。これに対しグーグルなどの企業ではかなりフラットな組織になっていて、働き方も柔軟になっている。日本の多くの企業はコロナが終息すると、例えコロナ中のリモートワークで成果が上がっていても、また前と同じようなスタイルに戻ってしまう恐れもある。そうなると優秀な人材は他へ逃げるだろう。

もう一つの流れが小型のM&Aである。コロナ騒ぎで、通勤という膨大なエネルギーの浪費と、会社のために自己犠牲を強いられることへの抵抗感と、家族という一番大事なものに気づいた若い世代が、自由に仕事ができることをリモートワークで知り、自ら起業するか、小さな企業を買って個人の論理で仕事ができないかチャレンジが始まる可能性はある。はんこ一つでわざわざ往復2~3時間かけて会社に行かせる非論理性に若い人は我慢できない。

コロナ自体は大変な災厄ではあるが、時代というものはこういうものをきっかけにして大きく変化することは珍しくない。南アメリカ大陸のインカ帝国などが、スペインの侵略によって滅びたが、その一因は天然痘である。天然痘に免疫を持つスペイン人が来た事で、免疫を持たないインカ帝国の人の90%近くが亡くなった。それにより国が分裂し、200人足らずのピサロの軍に滅ぼされたのである。余談だが、天然痘以外の理由は、南アメリカには鉄の文化がなく、銃がなかった事。馬がなくスペインの騎馬軍団に翻弄されたこと。もう一つは文字がなく、それまで南アメリカでスペインにより滅ぼされてきた他の帝国の情報が一切はいってこなかったことなどがその理由と言われている。新しい技術はそれまでの社会を覆す。スマホにより世界中に情報が拡散する時代、スマホは継ぎの時代を作る有用な武器なのである。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

目に見えない人は世界をどうみているのか


伊藤亜紗さんという美学者の「目に見えない人は世界をどうみているのか」という本を読んだ。まず伊藤さんの専門の美学という学問があることを知ったのだが、彼女によるともやもやとした、はっきりと説明できないような事柄を明確に説明する学問だそうだ。

視覚障害者は厚生省の発表によると約32万人いるらしいが、身体又は知的な障害のある人の数は2018年の発表では936万人いるらしい。障害者の多くは、自分の障害を個性と捉えている。アメリカでは最近黒人への差別に対してデモなどが行われているし、大坂なおみさんもそのことについて述べているが、黒人、白人。黄色人種も個性だと思う事と、障害も個性だと思うことは基本同じだと思う。つまり、自分と他人との外見上の差を捉えて差別するわけだが、立場を逆にしても同じように思えるのだろうか。私たちが今こうして生まれているのは、単なる偶然に過ぎない。

以前、「人は見かけが9割」という本を読んだ。現実の社会では、人は見かけで判断されるという事だ。それは現実だろうと思うが、これについては教育などによる克服が必要で、人種も、民族も、宗教も、障害者もがグローバルに混ざり合う今世紀の重要課題になるとも思う。人類が克服すべき課題なのだ。

伊藤さんも障害とは何かについてこう意見を述べている。「障害者というと、一般的には『目が見えない』とか、『足が自由である』とか、『注意が持続しない』とか言った、その人の身体的、知的、精神的特徴が『障害』だと思われているが、実際に接して見ると、この根強いこの障害のイメージに強烈な違和感を感じる」と言っている。この意味での障害はその人個人の「能力の欠如」を示すモノで、そのため触れてはいけないものと感じてしまう。しかしこういうイメージは産業社会の発展と共に生まれたもので、労働の画一化により生まれたものらしい。それまでは、障害者には彼らに出来る仕事が割り当てられていたのだ。また障害を笑うユーモアとゆとりもあった。

また最近は見えない人の美術鑑賞という試みも行われている。目に見えない人がどうやって絵画を鑑賞するのか?それは目が見える人と一緒に言葉で鑑賞するのだ。目の見える人はどう言葉で表現して、それを聞く視覚障害者にどう伝えれば伝わるのかを考える。つまり「セッション」を皆で行うわけだ。これにより目の見える人もより深く絵画を鑑賞できることになるらしい。すべての人に前の窓は開いていると感じる。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

コロナの正体


今回はコロナの正体を疫学とは別の視点で捉えてみたい。それはコロナの正体は実は「情報」であるということだ。一つの例として、少し前の高齢者の交通事故の報道が増えた時のことを考えて見よう。この高齢者の重大事故の報道という繰り返し行われる「情報」により、世間の風潮は年寄りの運転は危ないからやめさせようというふうになってきた。しかし、データで見ると、高齢ドライバーの起こす事故は世代別に見てもかなり少なく、若い世代の事故が昔も今も圧倒的に多い。かつ、トータルな事故件数もずっと減ってきている。つまり高齢者の総数が増えたからと当然に交通事故件数は多くなっただけだ。しかし、報道という「情報」により都会に住む子供からは危ないから免許を返してと言われることになる。もちろん返納が必要な高齢者もいると思うが、通常はそうではない。特に田舎では車がないと生活できない。

これからわかることは、テレビなどのニュースなどで取り上げられたいわゆる「情報」が多いと、実態とはかなり齟齬があっても世間はそれを信じて行動するということだ。警察が高齢者の返納を促すためのいわゆる情報操作という可能性もある。マスコミというものは、視聴率を気にする。それと同時に国の意向も忖度する可能性もある。

毎日東京都の小池知事がコロナウィルスについて死者の数ではなく、今日は何人感染しましたとテレビに出て話しをする。それをみる人は感染者数の増減に一喜一憂している。そして地方は何人感染者がでたと大騒ぎする。しかし、少し視点を変えてみると、他の病気で死亡者数ではなく、今日何人感染しました(もしくは発症しました)と毎日報道される他の病気はあるのだろうか。結核(2018年、患者数約17千人、死者数約2300人。ちなみに結核はコロナと同じ指定感染症第2類だ)、癌(2019年は、約38万の死亡予想、約101万人の罹患者数予想)。しかし、あまりマスコミでは取り上げられないと、人々はあまり気にしない。

東京都の8月24日の新規感染者数は95人、全国で493人だ。死亡者数は、東京都で2人、全国で13人だ。一方8月24日までの東京23区の熱中症の死亡者数は1週間で170人だ。明らかに情報量で熱中症よりコロナが多いため、熱中症よりコロナがメインとなり、マスクをしていないと何かいわれるのではという別の不安もあり、マスクをはずしてもよいケースでもつけているのではと推測される。感染すると恐ろしい、他の人にうつす、特に高齢者にうつすのが怖いというが他の感染症も同じだ。またコロナによる死亡者で一番多いのが80代、次が70代、そして90代だ。平均が79.3歳とも言われるが、これって男性の平均寿命だ。つまり、肺炎等の他の病気で死ぬのと同じというと言い過ぎなのだろうか。

ウイズコロナと言われるが、実は似たケースがある。それはウイズカーだ。交通事故による死亡者は1970年に1万6765人を数え、事故件数は100万件に迫っていた。移動によって起こるというところもコロナと似ているが、車に乗らずにステイホームしようという話しはなかった。それでも2019年には死亡者数は3215人、事故件数は約38万件とかなり減少した。車の台数も増えているのに、これだけ減ったのはすごいことだ。減った理由は、道路の整備、罰則の強化(特に飲酒運転)、車両の安全性の向上、人々の安全意識の向上、また高齢ドライバーの増加(普通の高齢者は安全運転である)などがある。また未来を考えてみると、自動運転が現実化すると本当に事故はなくなると思われる。人類はウイズカーという文明の道具とうまく共存できるようになりつつあるのではないかと思われる。

コロナを考えて見ると、「経済を回す」という考えがいま政府の主な考えだ。都市をロックダウンすると、そのコストが巨額であり、何度も実施できず、感染症で死ぬ人よりも経済苦で死ぬ人が増えてきて、国家も運営が難しくなると言うことが分かってきた。とすると、本当にコロナについてもう一度考え直し国民のコンセンサスを得る必要がある。

島根県松江市の高校のサッカー部で90人以上という大量のクラスターが発生した。それにより高校に嫌がらせの電話やらがかかっていると報じられているが、しかし皆が知っているように若い人は元気で症状がない人が多い。8月25日で島根県のコロナ情報を見ると、過去島根県での死亡者は0,現在の重傷者も0だ。そこにあるのは大量の感染者という「情報」だけだ。

これからどうなるか分からないので、専門家も意見は分かれる。従って、より慎重な対応をしなければとなってしまうのはある意味仕方がない。しかしその代償はどちらにころんでも大きいため、もう一度冷静な分析が必要だ。すべての優先順位でコロナが一番になっているようだが、これは違うと私は思う。車の例で話したが、日本人は車との共生を可能にしてきた。怖いのはコロナそのものではなく、「恐怖心」「過度な不安をあおる情報」だ。先日まだはっきりしないがと前置きしてだが、比較的安全と思われる飛行機内での感染報道があった。はっきりしないのならこういう報道こそ控えるべきだ。日本でどれだけの飛行機が飛んでいて、どれだけの乗客が移動しているのか、その中で不確かな1組を報道する。この報道により飛行機で遠方に旅行する人が減る。サーフィンで空気の流れ次第では他のサーファーに感染もありうるといった学者が思い浮かぶ。この「0でない」報道がある限り日本人はコロナを克服できない。

渕上コラム「変える言葉」
コラム

ウナギトラベル


皆さんはウナギトラベルという旅行会社を知っているだろうか。自分の可愛いぬいぐるみを旅行に連れて行ってもらって、写真を撮ってもらうというサービスだ。多くの人は「何それ!」という感じだろうが、メディアアーティストの落合陽一氏はこれこそ新時代のビジネスのスタイルだと言っている。つまり、すごく狭い範囲での仕事だがオリジナリティにあふれ、ネットで世界を相手にすると成り立つという話しである。

私もそんなばかなことにお金を使う人がいるのかとHPを見てみると、次のような記載があった。「お客様は、ぬいぐるみです。体重は300グラムまでです。申し込み後郵送ください。ぬいぐるみ様に思い出に残る上質な思い出をウナギガイドがご案内し、ウナギカメラマンが写真に収めます。」しかもハワイやソウルなど海外へも出かけている写真が掲載されている。つまりぬいぐるみの旅行代理店だ。しかも申込時にそのぬいぐるみのアンケートをとり、車に酔いやすいぬいぐるみは車の窓際に置き、他の参加者が心配そうにのぞき込んでいる写真を撮ったり、食べ物アレルギーを尋ねたりしている。ここまでこだわることでサービスの価値が高まるらしい。つまり突っ込みどころ満載の写真で顧客同士のコミュニケーションを活発にしているのだ。またファンタジーとリアルを結びつけているのだ。

このファンタジーとリアルを結びつけるという意味では最近のAR(拡張現実)がある。実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することにより、目の前にある世界を仮想的に拡張するというものだ。最近の例としてはポケモンゴーだ。スマホを使ったサービスが多く出てきている。

これに対しVR(仮想現実)は仮想の現実を構築する技術だ。先日テレビでもテレワークの枠にVRの女の子が登場して、他の出演者とのやりとりをAIがやっていた。この世界は随分進歩していて、専用ゴーグルを付ければ、生身の人間がすぐ側にいる気分を味わえるなど、ビデオが登場したときのように普通に浸透していくのだろう。人間の相手は、配慮のない人間ではなくて、相手の気持ちを考えたAIに成るのかもしれない。そうすると、ますます生身の人間同士のコミュニケーションが難しくなる。アトムの世界はすぐそこまで来ている。SFの父といわれるフランス人シュール・ベルヌが「人間の想像できる事は、人間が必ず実現できる」といった事を思い出す。今、少しずつ時代は変わってきている。100年後はアトムの時代か、それともターミネーターの時代か、それとも・・・

渕上コラム「変える言葉」
コラム

敗戦1年の記録


私の父は満州(新京)からの引揚者である。戦争時の事を多くの人は子供たちに話したがらない。なぜなら話すにはあまりに辛い体験だからである。思い出したくないことも多いのだ。父も断片的なことは時々体験を同じくする兄弟で話していたようだが、私に話をしたことはない。しかし、75歳を過ぎて思うところがあったのだろう。「敗戦1年の記録、昭和20年8月より21年9月まで」というタイトルで、帰国の途につくまでのことを本にしたためた。ずっと日記をつけていたらしく、かなり詳しく記載している。今回は終戦記念日も近いのでこれについて述べることにする。

実は、最近引退をした人の間で戦争中の本が売れているらしい。引揚者もそうでない人の子供達にも、親の時代の一つの象徴が満州だった。ラストエンペラーと言われた溥儀は映画でも扱われるほど激動の時代を生きた。実は私も50歳をすぎてから、自分のルーツを訪ねて大連(母の生まれ育った町)、新京(現在の長春)、そしてロシアに近いハルピンを見て回った。そういう旧満州を巡るツアーも人気が高い。

いつも父はロシア人をロスケといって全く信用しないといっていた。その理由は自伝を見ればよくわかる。突然徒党を組んでやってきて、酒、女、そして時計などの金目の物を要求してくる。そして反抗的な態度をとると銃を突き付けられたようだ。自伝でもかなりのページにその顛末を書いている。人間は理屈よりも感情が優先する。ロシア嫌いは死ぬまで続いた。

また、同じ日本人同士でも助け合う人もいれば、地位を利用してうまい汁を吸おうとする人、言うことは言うが、何もしない人など様々な人間模様が描かれている。周りで戦闘が日々行われていても、そこに住んでいる人は日々食うための仕事を探し、寒い冬のための薪を準備したり、暇なときは碁を楽しんだり、たまには牛肉を買ってきてしこたま食べたなど日常の風景が展開されている。

引き上げが近くなって祖父が病気で亡くなるくだりになると、父はしばらく書けなかったようである。昔の人の人間関係は濃い。父は引揚の途中で祖父を無くし、引き上げ後祖母と兄弟4人の面倒を祖父に替わって見ることになる。苦労は人の心を鋼にするというが、現代のような苦労を知らない時代の子供たちはどうなるのだろう。兄弟4人の面倒を最後まで見た父は、兄弟のうち次男一人を残して87歳であの世に旅立った。冥福を改めて祈りたい。

渕上コラム「変える言葉」