コラム

ウナギ


ウナギと聞くと、なぜか蒲焼きのにおいが脳裏に浮かび食欲が出てくる。旅先では鰻屋の看板を見ると、少し高くても旅先だし食べてみようとすることも多い。日本人にとってウナギは特別な食べ物だ。江戸時代からウナギは庶民の好物だったようで落語にもよく登場する。最近の新聞にウナギの稚魚今年も豊漁と出ていた。稚魚は前年比で4割安ということで、すっかり高級魚になってしまったウナギが少しでも安く食べられると今から楽しみだ。

ウナギの産地としては、一番は鹿児島県、2番が宮崎県、そして愛知県、次に静岡県となっている。しかし、日本人が食べているうなぎは、その約6割が輸入であり、中国が最大の輸入元で、スーパーで売られているものが多い。4割が国産だが、天然物はほんの0.3%程に過ぎない。後は養殖物だ。

鹿児島県は鰻池という池もあり、池田湖には体長1.8メートル、20キロのおおうなぎが生息している。宮崎県西都市には、日本一ウナギを焼くという「うなぎの入り船」という店があり、店前の神社には入店を待つ人が並んでいる。愛知県は「ひつまぶし」という独特の食べ方がある。静岡県は浜名湖のウナギは昔から有名だ。

ウナギを食べに行っていて気がついたことがある。それは産地と提供する名店のある場所が異なることが多いということだ。例えば千葉の成田山の門前にはウナギの店が多い。しかし、それはその近くで取れるからではなく、食べる人が多いからである。埼玉の川越にも鰻屋は多いが街道沿いだったためらしい。今の東京にも鰻の名店が数多くあるが、それも江戸の人が多く食べたからである。考えてみればしごくまっとうな理屈である。

ちなみに海外でもウナギを食べる国は意外と多いが、食べ方が燻製とか揚げるとか随分違う。私はフィリピンでよく食べていたが、ぶつ切りにして揚げていた。
 
実はうなぎの旬は夏ではなく、10月から12月くらいなのだが、江戸時代に平賀源内が夏にお客が来ないといううなぎやの窮状を救うために「土用の丑の日にウナギを食べると夏を乗り切れるスタミナがつく」という話しを作ったことにより夏に食べるようになったと言われている。これは天然うなぎの場合で、養殖うなぎの場合は、夏においしくなるように工夫をしているようだ。あー、四万十で天然の鰻が食いたい。

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視点


NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が2月7日に最終回を迎える。最近あまり大河を見なかったのだが、明智光秀が主人公ということで、どんな視点で演じらせるのだろうという興味で見てしまっていた。

よく言われているが、過去の歴史は勝者の書かせた歴史であり、当然に敗者のことは悪く書かれ、勝者は良く書かれている。通常敗者は亡くなっているので、死人に口なしとなる。そこには正しいファクトは書かれない。なぜなら善人や正義の人が勝者になるとは限らないからだ。私たちが知っている偉人に対する逸話も実は創作だったということは多い。アメリカのジョージ・ワシントンの桜の木を伐ったという正直者エピソードも、豊臣秀吉の草履を暖めていたエピソードも後から作られた話だ。後世の小説家は、その人らしいエピソードをどんどん作っていき、それが多くの人に読まれたり、演じられたりするとその人のイメージができあがり、あたかも事実であるかのように一人歩きする。

その代表的な例が坂本龍馬である。今の坂本龍馬像のイメージは、司馬遼太郎の「龍馬が行く」から出来ている。その本の内容がすばらしくおもしろかったためベストセラーとなり、日本中に龍馬ファンが急増した。しかし、歴史小説においては、少ない事実をつなげていく接着剤は当然にフィクションである。考えてみれば当たり前で、その時代に作者は生きていないし、仮に生きていたとしても、その現場に同席はしない。後世に残った資料を調べながら、彼ならこうするに違いないとか、こうであったに違いないという筆者の思いで小説は出来ている。従って歴史的な事実からの評価からみるとその人物の軽重は異なることになる。教科書から坂本龍馬を削除するということになったのもそういう理由だろう。他にも同じような理由でテレビや小説から知名度は高いが歴史的な評価としてはどうかということで武田信玄や上杉謙信などの名も上がっている。どちらにしてもその人の実相は明智光秀と同じように違う事も多いのだ

また過去1万円札という最も高額の紙幣に使われていた聖徳太子も、今では教科書の名前も変わってしまい、厩戸王(うまやとおう、聖徳太子)となってしまった。聖徳太子は実在したのかというといなかったという説もある。なにせ今から1400年以上前の飛鳥時代の人物だ。当然に一人で10人の話しを同時に聞いたというのも後付けの話しである。今では厩戸王は実在したが、聖徳太子という人の行った「官位12階の制定」や「17条憲法」を作った人とは別の人かもしれないとわかってきたのだ。このように新しい事実の発見、視点による観察によると全く違う本当の実相が見えてくるのだ。

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自然淘汰説


自然淘汰説とは、進化を説明するうえでの根幹をなす理論だ。ダーウィンとウオレスによってはじめて体系化された。その考え方は単純で、個々の新しい変種、最終的には個々の新種が生み出され維持されるのは、競争相手となる種類よりも何らかの利点を有しているからである。一方、そうした利点のない種類は、ほぼ必然的に絶滅することになる。これが基本的な考え方だ。

ダーウィンの「種の起源」は、予言の書とも言われ、生物学のみならず多くの学問に多大な影響を及ぼしている。ダーウィンは、環境変化に適応したものが生き残るのではなく、たまたま生き残ったものが世代を超えて環境に適応していくと考える。そのため、厳しい生存競争を生き残っていくためには、全体としてのダイバーシティ(多様性)が重要になる。ダーウィンの言う進化とは、進歩ではなく、変化を意図している。

日本企業は100年以上継続する長寿企業が約3万3千社と世界一多い。特に製造業、小売、卸売業、宿泊・飲食業に多く、サービス業は少ない。サービス業はそのサービスの中身が大きく変化していくからだろう。

長寿企業が多い理由としては、一つは平和が長く続いたことがある。二つ目は企業活動が投機を自制したことが上げられる。家訓などで本業に徹してきたからだといわれる。しかし、その本質は事業を長く継続することが閉鎖的であった日本社会にとって何らかの利益をもたらした、つまりこれまでの日本社会に適応していたからだという自然淘汰説からの推測も出来る。従って世界に開かれた現代になると、長寿企業も厳しくなる。

最近の例でいうと、金剛組がある。飛鳥時代にできた日本最古の企業だが、倒産の危機となり、他社の支援を受けた。その他には酒屋がある。一時期焼酎というものが勢力を伸ばしてきて、造り酒屋の廃業が相次いだ。しかし、その後の品質の改良と世界戦略で新しくその地位を確立しつつある。酒の小売も形を変えた。小売の多くは、コンビニに業態変更した。昔ながらの酒屋はその姿を消しつつある。

これからわかることは、改善ではなく変化することを前提としたマネージメントをしていかないと長期にわたって生き残れないということである。さて貴社は従業員と一緒に変化できるのか、問うて欲しい。

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やりきる力


組織が成長するためにかかせないものがある。それは事業計画書で決定された役割・目標業務をやりきる力である。経営者、従業員にこれがないとどんなに練り上げられ、計算された計画もただの紙切れになってしまう。成長している企業はこのやりきる力を持っているのだ。つまり実行力の差がすべての土台なのだ。

ペンシルバニア大学のダックワース教授が、シカゴの大学で調査したところ、やり抜く力を持つ学生は退学せずにきちんと卒業していく確率が高いことが分かった。やり抜く力は後天的に身につけられる事もわかり、知識や才能がなくても強く意識して実践すれば、物事を成功に導けると言う。

ダックワース教授は、やる抜く力の要素として次の4つを挙げている。
① ガッツ:困難に立ち向かう「闘志」
② レジリエンス:失敗しても諦めずにつづける「粘り強さ」
③ イニシアチブ:自らが目標を定め取り組む「自発」
④ テナシティ:最後までやりとげる「執念」

さらにこれらの要素を伸ばすために次のことが必要だとしている。
① 興味があることに打ち込む
② 失敗を恐れずチャレンジする(挑戦せざるを得ない環境をつくる)
③ 小さな成功体験を積み重ねる。
④ 「やりぬく力」がある人のいる環境に身を置く。

さらにもう一つ大事なことがある。それはトップダウンで実施するのではないということだ。やり抜く力の4つの要素は素晴らしいことだが、他者から強要されたら大きなストレスになる。しかしそれでも自分で動こうとしない人にはどうすれば良いのだろう。

やり抜くときに大事なのは、ゴールや夢を持つことだ。一つのことを苦しいと感じずに続け、やりぬくためには夢、希望、興味、金銭などが必要だ。ビジョンの共有とよく言うが、それは会社の夢を社員が理解することであり、社員の夢もその中に同居させることである。社員の中にはそんな夢よりも今日の飯と言う人も多くいるかもしれない。そういう人達には、会社の夢に、少しの興味を持ってもらいながら、付き合ってもらうしかない。付き合ってもらえなければ会社は成立しないのだ。

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変身


カフカの小説に「変身」という作品がある。コロナ過でまた読み直されているカミューの「ペスト」という作品と並んで、不条理が個人又は集団を襲うストーリーだ。ある朝起きると主人公が毒虫になっていたという事からストーリーは始まる。ある朝突然にすべてが変わってしまうというのは小説としては面白いのだが、ダーウィンの「種の起源」にはこのような記載がある。「自然には飛躍がない」つまり、「変化は小刻みに起こる」のだ。長い年月を経て生物は大きく変化するのだが、その変化は突然に起こるのではなく、長い時間をかけて少しずつ変化した結果であるというのだ。

企業を経営する時に経営者はともすれば早い変化、結果を求める。しかし、それは一見よいように見えても、人間の理に合っていないとうまくいかないことが多い。またうまくいったように見えても、実は時間が経つと元の木阿弥に戻ってしまう。それは人は急に変われないからである。目標とする形にまでもっていくためには、その間にいくつもの小さな変化をかませないといけないのだ。いわゆる名経営者という人は、小さな変化を多く起こしている人なのだ。時間をかけた飛躍のない経営というものが後で飛躍的な変化をもたらすのだ。

飛躍がないというのは、成長がない、変わらないということではない。確実に少しずつ企業風土を変えていくことである。その変化が企業の永続を保証していくのだ。企業の組織論もいろんな理論がタケノコの様に生まれてくる。その中から実態にあったものが選ばれていくのだ。

皆時代に合わせて自分自身を変えていきたいと考えていると思うが、その変身の鍵は、意外なところに存在する。「天は、二物を与えず」ということわざがある。「天の神様は一人の人間にいくつもの美点を与えることはないので、良いところばかりの完璧な人間は存在しない」という意味だが、逆に考えてみると、天は誰にでも一物は与えているわけだ。つまり、この世の人はすべて天から与えられた自分の一物を磨いていくことにより、他の人から見ると素晴らしい人、または企業だと思われるようになるのだ。

自分又は企業の長所とどう向き合い、伸ばしていくか。飛躍のない確実な思想と戦略が必要とされる。短期間で得られたものは、短期間で失われ、長い間を経て得られたものは、自分たちの血肉となって永続する。どう変身するかには哲学が必要だ。

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新年あけましておめでとうございます。今年もコロナに翻弄されそうな1年になりそうですが、冷静に対応していきたいですね。それでは初回は「運」について考えようと思います。

皆さんは初詣でおみくじを引きますでしょうか。10代女性は約44%が引くらしいのですが、年齢とともにおみくじを引く割合は低下して60代の男性では12%程しか引かなくなるようです。なぜおみくじを引くかというと今年の運勢を占いたいからです。つまり大吉を引いて今年も良い運だと思いたいからです。

私が大学生の時に友人から言われて憶えているのは、パナソニックの松下幸之助氏は面接試験で自分自身の運が良いと思わない学生は採用しないそうだという話しです。真偽の程は別として、運が良いと思う人には共通点があるそうです。それは運が良いと思う人は、実はチャレンジを多くしている人だと言うことと、感謝の心を持っている人と言うことです。つまり前向きなのです。

運が良いと思う人は約3分の2程です。運が良いと思う理由は、「良い配偶者、子供に恵まれたから」とか、「よくくじに当る」、「良い友人をもっている」、「大事な旅行などでよく晴れる」などがありますが、運が悪い人は「男運が悪い」などという運のよい人が言うことの反対を理由として言っています。

しかしよく考えてみると、運のよい人と、悪い人の考え方や行動にその原因があると言われます。そのためその考え方や行動を変えると運がついてくることになります。従って運が良いという人はすでにそういう思考・行動をもっていると考えられます。

運の良い人に運が良くなるための考え方・行動を聞くと、「ポジティブ・明るい」が一番で、「感謝を忘れない」が2番です。これに対し、運が悪い人に運が良くなるための特徴を聞くと、「分からない」がダントツの1位で、2位が「「ポジティブ・明るい」となっています。最も差があるのは、「感謝を忘れない」で、運が良い人の3分の1しかそれが幸運をつかむと思っていません。プレジデントでも運が悪い人は信仰心が薄い、つまり感謝が足りないと分析していました。まず年始めに分散詣でも良いので初詣に行き、神様・家族・友人・会社の皆に感謝しましょう。それが今年の第一歩です。お賽銭を忘れずに。運の悪い人はお賽銭をけちるという傾向が出ています。

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感謝と協力


今年もあと3日で終わりだ。弊社も今日で仕事納めとなる。考えてみれば暦とはすごいものだ。日常生活を年、月、週、日と区切り、生活を支えている。もし暦がなければと考えるとぞっとする。暦は紀元前3000年頃に、ナイル川の氾濫が定期的に起こることから、法則性があることに気づいた古代エジプト人が発明したらしい。これを太陽暦という。現代の暦の原型である。

その後ローマがエジプトを征服した。それまでローマは太陰暦を採用していたが、1年を355日としていたため、ズレを調整するのに苦労をしていた。そこでローマの指導者ユリウス・カエサルは、征服する地域の拡大に伴い、全ローマの統治のためにエジプトの太陽暦を改良したユリウス歴を作らせた。その時の月を表す言葉に自分の誕生月である7月を自分の名前にちなんで、ユリウス(英語でJULY)に変え、後の初代皇帝オクタヴィアヌスも自らの称号アウグストゥス(尊厳者)を8月に当てはめAUGUSTとした。

その後ユリウス暦は1000年に8日の誤差がでることがわかり、これをヨーロッパのローマ教皇グレゴリウス13世が改良し、今でも使われるグレゴリオ歴となった。毎日使う暦にしても、これだけ長い年月と改良によって作られている。

私たちの生み出すサービスについて同じように考えて見よう。まず絶え間ない改良をやり続けているのだろうか。サービスを変更・改良し続けているだろうか。時代は
100%変わり続ける。そのため、変更・改良しないことは生物学的に言えば、絶滅種になっていくことになる。

わかりやすくいうと今はITを使わずに仕事はできなくなっている。しかし、中には現場の仕事などパソコンを使わない仕事をしている人もいる。彼らは俺にITは分からないし、関係ないと言うだろう。しかしその人のいる会社はITがないと回らない。請求書の発行、管理など多くの仕事でITは使われている。そのパソコンを使わない人の存在は、パソコンを使う人によって支えられているのだ。

仕事はすべて協力関係で成り立っている。従って自分の役割をその中で発揮しないと企業は成立しない。今年を支えてくれた社員、関係企業へ感謝を言いたいし、また来年も協力をお願いしたい。

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今年の世相を表す言葉は「密」という言葉と決まった。今年世界をパニックに落とし込んだコロナを表す言葉で、受賞は当然だろう。

まず会社での「密」というと、日本の企業における一人あたりオフィス面積の「密」がある。日本では何も生まないオフィスにはお金をかけない。そのためオフィスは密になりやすい。また社員同士での密もある。忘年会、仕事終わりの飲み会、仕事先との密である顧客との飲み会やゴルフなども多い。これは日本人が本来農耕民族のため、皆で協力して事に当るというアイデンティティーを持っているからだろう。そのため密に抵抗がないのかもしれない。

種の起源でダーウィンは、同じような種が分布している荒れ地に、回りに柵をしたり、1種のそこになかった木を植えるだけで、年数が経過すると、そこに生育する木の種類や昆虫の種類、生息する鳥などに大きな変化が起きることを確認している。柵をしただけなどのそんな小さな変化が年月の経過につれ考えられないような大きな変化を生じさせてしまうのだ。これは経営にも言えることかもしれない。大きな事をしようとすると全員が反対して先に進まなくなるが、小さな事を実行することで、知らず知らずに企業の体質が変わってしまうことはよくある。

2010年2月にHISの澤田社長がハウステンボスを引き受けたときに、ハウステンボスの社員はどんな大なたが振られるのか、リストラされるのではと戦々恐々だったと聞く。しかし、澤田社長が出した基本方針の第一は「掃除の徹底」だった。第二は「元気に仕事をしよう」、第三は「経費を2割下げて、売上を3割増やそう」と続くが、とりあえず社員は安堵すると同時に頑張ろうと考えることになる。もちろんそれは社員向けであり、経営者として、もっと大きな固定資産税を穴埋めできる再生支援交付金の取得や銀行の借入金の放棄なども取り付けての話しだ。

次にビジョンが来る。「東洋一美しい観光ビジネス都市」という視点だ。お客の少ない冬に「光の王国」とうたってイルミネーションを増やし続け、1300万球のイルミネーションを実現し、日本一となって顧客の増加に寄与している。つまり澤田社長という一つの木をハウステンポスに植え、澤田社長は掃除を通じてそこに存在する社員のやるき、安心感を引き出し、まったく違う会社の体質を作ってしまったのだ。小さなことを馬鹿にしてはいけない。小さなことをきちっとすることは経営の第1歩である。

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変わる企業経営


ワークマンという会社がある。作業服の会社というイメージだが、現在10期最高益を更新中である。この会社の経営スタイルもまたこれまでと違い新時代の経営を想像させるユニークさだ。

例えば「社員のストレスになることはしない」と決めている。残業や、仕事の期限、ノルマ、短期目標などを設定しない。次「にワークマンらしくないことをしない」と決めている。他社との競争、値引き、デザインの変更、顧客管理、取引先の変更、加盟店は対面販売・ノルマもないなどだ。また「価値を生まないムダな事はしない」とも決めている。社内行事や会議は極力しない。経営幹部は極力出社しない。幹部は思いつきでアイデアを口にしないなどだ。つまり、ワークマンは「しない会社」を軸に成長を続ける会社なのだ。多くの企業がやっているノルマを定めて、期限までにやりきるということは一切しない。頑張らないのに業績は10期連続最高益更新である。どうしてそれが出来るのか?

この答えの前提に今あらゆる場所で起こっている若い人を中心とした意識の変化がある。変化と言うより180度の転換といった方が妥当かもしれない。つまり、戦後の復興時のがんがん上からはっぱをかけるやり方は、戦後の産物となり、昔当たり前だったパワハラ、セクハラ、24時間働かせる経営者が偉いという考えは、本当に過去の時代の産物となりつつある。これからは社員の犠牲を強いるやり方、当然に経営者・経営幹部もすべてを犠牲にして仕事をするやり方から、社員それぞれの家庭の幸せ、経営者・経営幹部の家庭の幸せを考えながら、短期ではなく、長期の戦略に乗っ取り、確実に事業を展開することが求められる時代になったのだ。

春のコロナの感染蔓延時に、リモートワークにトライした企業も、スタイルを完全に変えられずに、リモートが一時的なものとなり、結局元の仕事の仕方に戻り再感染拡大を招いているかもしれない。コロナ対応という一時的なものではなく、新しい働き方の模索でないといけない。リモートによって業績は変わらない。逆に仕事のできない人があぶり出されてくるという話もあるのだ。

人間の時代の感性に基づかないと新しい時代はつかめない。それが理解できずあいかわらず同じ事をやっている経営者、幹部、社員もリタイアしないと困る時代になりつつある。

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歴史から学ぶ感染症


冬になり再びコロナが流行ってきた。東京・大阪ベースの情報がテレビから毎日流れており、地方にいても都会のイメージに引きずられるところがある。来年はワクチンにせよ、オリンピックにせよコロナ終息の方向性がはっきりしてくると思われる。世界の感染症の第一人者の多くが来年中の終息を予測している。ここで磯田道央(みちふみ)氏の感染症の日本史から学んでみよう。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」である。

実はあまりそういうイメージを持っていないのだが、日本史も感染症により作られているという一面がある。今年の「給付金」「出社制限」「ソーシャルデスタンス」も過去にあったと聞くとびっくりするかもしれない。今はコロナで大変だが、感染症の危機は確実にこれからもやってくるのである。しかも人類が世界中で移動することが当たり前になった現代社会は、そのスパンがだんだん短くなってる。そこで歴史から学ぶことが必要になってくるのである。

磯田氏は「日本を守る」というとき、「仮想敵国」が日本に軍事攻撃してくる確率より、パンデミックで国民の命が奪われる確率の方がはるかに高く、この現実を政治が直視し、ソフトとハードの備えを行うべきだと言っている。確かに私たちが悲惨な戦争と認識しているベトナム戦争でのアメリカ軍の死者は約58千人だが、コロナによるアメリカの死者数は12月3日で27万人を超しており、年内には30万人を超える勢いだ。これは、6年間にわたる第二次世界大戦でのアメリカ人の死者数29万人を超える。

また人の死亡原因は、一番多いのは戦争でも事故でもなく病気であり、その病気にしめる感染症の割合はかなり高い。つまりなかなか老衰という形では死ねないのが現実なのだ。現代人は死とは一定距離をとっている。親との別居、病院での死、冠婚葬祭業者への葬式の外注など死を身近に感じられない状況となっている。コロナは特殊ではなく、これまでもこれからも起こる事であり、正しく恐れ、又は必要以上に恐れないことがひつようとなる、政府も医療従事者への支援など、同じく学んで対応すべきなのだが、まだ言うだけで実施しない。これでは信頼を得られなくなり、政府の言うことを守らないが増加する。きちんと対応して欲しい。

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