コラム

ファクトフルネス


「ファクトフルネス」という本を読んだ。自分の考えていた世界と現実の世界の差にびっくりし、気づくことが多かった。少しだけ皆さんに質問をする。答えて欲しい。
1.現在、低所得に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?
 A:20%  B:40%  C:60%
2.世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったのでしょう?
 A:約2倍のなった。  B:あまり変わっていない。 C:半分になった。
3.自然災害で毎年亡くなる人の数は、過去100年でどう変化したでしょう。
 A:2倍以上になった。 B:あまり変わっていない。 C:半分になった。

答えは本を読んでいただくとして、結果として、チンパンジーが無作為に選ぶ正解率33。3%に及ばなかったという結果が出ている。学者もノーベル賞受賞者も、優秀な金融機関の人間も正解率はチンパンジーよりも低かったのだ。

詳しくはぜひ本を読んでいただきたいのだが、知識は常にアップデートしていかないといけない。また、新聞などのマスコミから入る情報についての見識を持っていないといけないということだ。

若い頃、大韓航空の飛行機が着陸ミスで多くの人が亡くなった事件があった。その後すぐに韓国に行く用事があり、仁川の空港に着陸した時、飛行機内から拍手が起こったのにびっくりした経験がある。私の頭には統計上飛行機は最も安全な乗り物であり、事故を起こした直後だけにパイロットもより一層慎重な運転をするからかえって安全だという認識だった。しかし、他の乗客の多くはそうではなく、事故後の世界で最も安全な飛行機に乗るのに恐怖を覚えていたのだ。統計によると飛行機で10万人当たりの死亡率は0.0097だ。一方車は10万人当たり3.2人だ。風呂で死ぬ人はもっと多く、日本だけで10万人当たり15人程だ。風呂や車に恐怖をもって入ったり、乗ったりする人はいない。

つまり、人は情報に操作されやすいということだ。現実の世界は少しづつだが着実に良くなっている。数十年経つと大きな変化になる。そのために仕事でがんばるということはすごく尊いことだと思うのだが!

渕上コラム「変える言葉」
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感動する仕事


働く人はどういう考え方で働くと幸せなのか考えてみた。以前より二つの考え方に分かれると言われている。一つは仕事を労働と考え、幸せは仕事から生まれないという考えである。仕事は我慢すべきものであり、与えられる仕事以外には積極的にしたくないし、しないというやらされ感満載のネガティブな考え方であり、もう一つは仕事を成長の場と考え、積極的に仕事に取り組んでいくポジティブな考え方だ。

よく例としては橋を造っている作業員に「なぜ、そんな重い材料を運んでいるの?」と尋ねると、「やれと言われているのでやっているだけだ。」つらそうに言い、また別の作業員に尋ねると「この材料を運んで橋を造っている。その橋ができると自分の子供達にも自慢できるし、周りの人の役にも立つしごとだ」と自慢げに話すという。ものの考え方によりこれほど差があるということである。

本来労働とは苦しいものではなかった。労働を嫌なもの、苦しいものに変えたのは近代の考え方だ。農耕社会では全員が協力して米を植え、収穫した。大変ではあるが、嫌なものではない。近代になり、共同体意識が薄れるにつれ労働はつらい苦役となり、戦後の高度成長と相まって、過重な労働が日常化してきた。

しかし、よく考えて欲しい。これだけ働いているのに、OECD先進8カ国のなかでの生産性は最低だし、休暇の取得率も低く、かつ労働時間も長い。これは個人の問題より会社や社会の仕組みの問題だと、政府も腰を上げたわけだ。政府のすることの是非はここでは問わないが、同じように働く人の中で成果を上げられる人はどのような人なのか。

これまでならとにかく努力と運しかない。運を得るには努力をすることが前提という考えが主流だったが、これからはやる気の起きるやり方でやるというセルフ・モチベーションという考え方が主流になると思う。やる気は人に与えられるものではなく、自分で自分に起こすものなのだ。楽しく・ワクワクしながら仕事をすれば、上司から怒られながら仕方なくする努力でなく、本当に自分の能力を伸ばす努力が得られる。28年前に東京の古田土さんがいっていた感動させる仕事が本当に素晴らしい仕事で、今の時代そう考えて実行すれば、それが可能になるのだ。人は自らが自分の人生の支配者にならなければならない。それがもっとも自分の可能性を高めるやり方であるからだ。人生のアップデートをする時代に入っている。

渕上コラム「変える言葉」
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予祝


「予祝」という言葉がある。広辞苑にものっている言葉だ。別名「前祝いの法則」ともいう。つまり祝福を実際に起こる前に実施するのである。そうすると夢や願いが叶うというのである。誰もがそんなばかなこと考えると思う。しかし、理屈をもう少し掘り下げて聞くと納得してしまう。

願いを叶える最高の秘訣は、先に喜んでしまうこと。何か騙されたような気がするが、実は多くの有名人がそれについて語っている。最近でいうと「フィギュアスケートの羽生結弦さんだ。2014年のソチオリンピックに向かう飛行機の中では2種類の4回転ジャンプを飛んで金メダルをとった喜びで満たされていたそうだ。そのため実際に金メダルを取った時は、「飛行機のなかで、イメージしすぎて、飛行機の方が感動しちゃいました」と述べている。ソフトバンクの孫さんもプロジェクトを立ち上げるさいには、そのプロジェクトが成功したときのことをイメージし、先に喜びに浸るそうだ。

これは何を意味しているのだろうか。過去・現在・未来という時間軸になかで、脳の中では未来が最初に来るらしい。つまり、「未来をどうしたいのか?」という目的がないと、脳の時間は動かないらしい。私たちがなにか行動を起こすとき、必ずそこには得たい結果がある。つまり脳は「未来志向」なのだ。その未来を、ちゃんと心ときめく未来に設定するが予祝なのだ。

昭和36年松下通信工業(現パナソニック)の幹部全員が集まり会議が開かれていた。それはトヨタからカーラジオについて大幅な値引要求があったからだ。皆どうすべきか困惑していた。その時松下幸之助氏が現れた。そして「なぜ、トヨタはそんな要求をしてきたのか?」と皆に尋ねた。実はこのトヨタの要求の裏には貿易の自由化問題があった。アメリカのGMやフォードなどの大メーカーとの競争が本格化し、このままでは日本の自動車産業そのものが滅んでしまうという危機感がトヨタにあったのだ。幸之助は続けた「松下がトヨタの立場ならどうする。同じ要求をしたかもしれない。トヨタはどうすればコストダウンを達成し、日本の自動車産業を発展させることができるかという危機感でいっぱいなのだろう。いわば業界全体、さらには国の事を考えている。松下1社の話ではない。何としても値下げにこたえなあかん」。幸之助はこの問題を乗り越えることで、どんな未来が待っているか想像させたのだ。

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リフラクション


仕事に成果を出すためには何が必要であろうか考えてみる。リフラクションという考え方がある。リフラクションとは「反映させて行動する」という意味で「ハーバードの人生を変える授業」の中で述べられている。

考えてみると当たり前のことなのだが、意外に実行できていない人は多く、そういう人は必ず「勉強にはなったけど、効果の出ないセミナーだった。」「理屈はわかるけど、実際は難しい」と言う。つまり、成果を出せない責任は自分ではないと言っているのだ。セミナーに勉強に行く。そして勉強したことを実践する。そして成果を出す。という一連の流れがあるが、数時間のセミナーで講師が何百時間もかけてやってきたことを、細かいことまで話すことは不可能だ。個性も違う。それを補うのは本人の実践以外にない。仮に料理人とすれば、料理で習ったことを後で実践して納得するまで検証していくしかない。習っただけで、実際に料理を作らずに上手になることはあり得ないと誰でもわかるだろう。

しかし、そうしても結果の出る人と、出ない人の差は出る。その原因は何だろうか?その原因は「自分の心の状態」をマイナスにしているからだという。未来は「今のあなたの心の状態」×「行動」で決まるわけだが、マイナスの心の状態では、結果はマイナス、つまりでない。マイナスに何をかけてもマイナスだからだ。

マイナスの心と言うのは、「やりたい」ではなく、「やらされている」「いやいやでもやらざるを得ない」というこころの状況だ。これでは奇跡はおきない。良い結果がでるというのは考えてみると奇跡である。皆さんの周りで良い結果が出せる人は何割くらいいるだろうか?もし少数ならそれはある意味奇跡である。他の多くの人ができないことを成し遂げているからだ。

心の状態をマイナスから見ると一番大きなマイナスは「怒り」であろう。次に「不満」だ。これに対しプラスのこころの状態は「喜び」である。仕事にチャレンジできる喜び、選ばれた喜びだ。これよりも大きなプラスは「感謝」である。仕事に感謝してチャレンジすると奇跡はおきやすくなる。皆さんの周りを見て欲しい。成果を上げる人は喜びや感謝の気持ちを表明している。感謝は良い結果をもたらす他者への配慮に満ちた実践につながる。感謝!である。

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出雲大社


山陰の出雲大社に友人と行ってきた。3回目、30年ぶりだ。まず人の多さにびっくりした。以前より人が多くなった気がする。お参りをするお宮が場所により50メートルほどの行列になっていた。今回はこれまでと違い楽しめた。まず井沢元彦氏の「逆説の日本史」で大国の主の命について書かれていたので興味を持ってお参りしたことがその原因だ。

井沢氏によるとこの大社(おおやしろ)は大国主の命の魂を鎮めるために建てられたということだ。菅原道真の太宰府天満宮もそうであった。古来より祟りを日本人は恐れた。大社の隣の出雲古代歴史博物館の中にもミニチュアがあったが当時出雲大社は奈良の東大寺よりも高い、伊勢神宮より高い、日本一の高さ48mを誇る大社であったらしい。平成12年に巨大な柱も見つかっている。3本で3メートルという大柱だ。これなら巨大大社も建築可能だ。なぜこんなに高いものを建てたのか?その理由はヤマト王国と思われる中央政府が出雲地方の豪族に土地を差し出し支配に入るように命令したことに起因する。その結果大国主の命の子供のうち、一人は海に身を投げ、一人は戦ったが諏訪に逃げ、その後降伏し、その子孫はこの諏訪の地から未来永劫出ることを禁止されたそうだ。

さてそういう視点で出雲大社にお参りすると、出雲大社は不思議な造りになっている。大国主の命は正面から横を向いて座っており、その前に3体の神がまるで大国主の命を遮るように正面を向いて座っている。また長さ13.5m、重さ4.5トンの大繩は本殿にはかかっていない。過去2度のお参りでは本殿の大繩を見て意外と小さいなと思って終わっていた。最近はテレビなどでも紹介されているのでちゃんと大繩を見られる神楽殿に初めて行った。立派であった。

こういう寺社を見ると、いつも考えるのが機械も車もない時代にどうやってこういう巨大な建造物をつくったのかという疑問である。4,5トンの大繩を高さ4メートルくらいに上げるだけでも難しそうだ。古代から現代に至るまで人間の知恵と工夫は限りない。仕事上での小さな難題に苦慮している現代人は古代より賢くなったのだろうか。真に知恵と工夫は限りなくある。

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通説のエビデンス


人は生まれてから大人になるまで、いろんなことを親や先生から教わる。社会に出た後も上司や取引先、そしてセミナーや本から教わることも多い。しかし、私はいつも思っていた。その話は本当なのだろうか。私に話した人は自分の経験を話したのだろうか、それとも人づてに聞いた話をしたのだろうか。それともたぶんこうだろうと自分の推測だったのだろうか、と。

そう思った後できるだけ実際に試してみようと思い立った。それから数十年常識や定説はできるだけ試してみるようにしてきた。最近思うのは、親と子の間、夫婦の間、つまり家族関係は私が若い頃の通説はほぼ当たらないと思う。なぜなら家族形態が変化しているので、昔の常識はあたらないことが増えているのだ。

私も世間の人と同じ親との関係で悩んだ時期があった。その時周りから言われたのが、「もう少し、がまんしよう。齢を取ると丸くなるから」だ。しかし、そうならなかったし、そうならない理由もわかる。日本の平均寿命は、戦後しばらく50歳代だったのだ。これ位の寿命なら本当に少し我慢すると親が亡くなって終了したかもしれないが、2019年は男81歳、女87歳である。いくらがまんしてもそう簡単には亡くならない。

同じように会社の経営の仕方も変わってきた。一昔前のやり方は、今ではほぼパワハラとセクハラになる。政府は働き方改革といって、企業に負担を課す。今でも3分の2の中小企業が赤字なのにどうせよというのか。確かに、政府の言っていることにも一理はある。日本に来る海外旅行者の旅行日数にびっくりするように、明らかに先進国の中で日本は労務面が立ち遅れている。しかし、いまのままやっても多くの中小企業は生き残れない可能性が高い。人手不足による人件費の高騰、最低賃金の大幅アップ、社会保険料率と加入者増によるアップ、どう対応すればよいのか。

これからの経営者は、簡単ではないが、新しい通説を作らなくてはならないのだろう。新しい時代には、新しい考え方が必要だ。考えると当たり前のことだが、これほど難しいことはない。しかし、やらなければならない。

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リスク


経営者やその奥様と話しをしていて良く感じることがある。それは言葉のとらえ方が人により異なるということだ。その理由はいろいろあると思うが、大きく分けると二つあり、一つはそれを学ぶ機会がないと言うこと、これは災害が多いことに起因しているらしいが、もう一つは日本人は基本的にネガティブな思想を持つ人が多いということだ。

例えば「投資」と「投機」の違いがわからずごっちゃになっている場合と、「リスク」のとらえ方がイコール「危険」となっていることが特に目立つ。広辞苑も「リスク」を「危険」と訳しているが、これは少し説明不足のような気がする。このとらえ方の影響は企業の時価総額にも表われている。いろんな理由は当然にあるが、平成元年には世界の上位50社に32社あったのに、平成30年には43位にトヨタ1社しか入っていない。いくら当時バブルだからといってもこれはひどすぎる。つまりリスクをとらない日本人は新しい産業構造についていけなかったのだ。

いつからか日本人はリスクをとらなくなってしまった。リスクを危険と考えると、とらない方がよい。つまりチャレンジをしないようにした方が良いことになってしまう。しかし、リスクの本質は「不確実性」である。不確実ということはその部分について社会の産業構造が変わったり、利益を上げられる会社の条件が変わったりするのだ。つまり、上位にある企業が下位に下がったり、今まだ下にある企業が成長して上位を占めるチャンスでもある。だからリスクをとってチャレンジするのである。しかし、リスクに対する自社の許容範囲は当然に理解しないといけない。

現代は子供を生むことがリスクと言われている。育て、教育を与えるのにお金がかかり、自分のしたいことも犠牲にしないといけない。もし失業したら育てられないなどと考える人が増えている。そうすると当然に少子化になる。結婚も同じようにリスクだと考えると、当然に晩婚化し、結婚しない人も増えていく。国は国民のそういうリスクを減らすための施策をしないといけない。

日本人は企業も個人もリスクを危険と考え、世の中は確実なことはなに一つないのに、不確実なことを避ける傾向がある。本来はリスクを計算して対応していくべきだ。新しい社会に有用なチャレンジにより達成できた場合の満足感や、子供を持つ楽しさ、結婚の味わいはリスクを避けていては得られない。リスクをとらない生き方は逆に面白みのないリスキーな人生であると思うのだがどうだろう。

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将軍の日


昨日歯科の「将軍の日」を開催した。いつも実施して感じるのは、決算書をどういじくりまわしても過去は変わらない。決算書は未来を作るための基礎資料にすぎない。将軍の日は企業経営者の方向性を決めるのに役立つということだ。

多くの人は未来に不安を感じている場合、実はその本質は「未来」という漠然としたものに対して自然な不安を感じる場合と、自分自身が未来に対してきちんと対応できるかどうかに不安を感じている場合とがある。それなら何もしなければ不安はないのだろうか。それはありえない。何もしないことにより不安の先送りをしているだけだ。これでは未来の不安は将来増幅されるだけだろう。

今回は奥さんが診療所の新設投資に不安を感じていた。できれば今の賃貸のままいきたいと話していた。借入金をすれば返さないといけない。しかし果たして期待通りに収入が伸び、返していけるのか?それが不安だということだ。この場合、未来の数値を確認し、その実現性をどう確認するのかということで不安はある程度払しょくされる。はっきりしないことが不安の原因なのだ。

このケースの結果は、今のままやっていると何とかやっていけるが、5年先も資金は増えず、設備投資もなかなかできず未来は明るくないことがわかった。逆に積極的に対応してそれを実現できると、見違えるように資金は改善に向かい、設備投資も思うように実行できて経営が安定することもわかった。中期5か年計画を作成することで未来に対してのネガティブな不安が無くなり、ポジティブな感覚が生まれてきた。収入をある金額以上にしないと経営が良い意味で安定しないことがわかり、今の位置に留まることの大変さを理解したのだ。

このケースでは、MAS監査を実施できれば、計画の達成は、経営陣のみならず、働いているスタッフ、取引先、患者などすべてに良い影響をもたらす。実行にあたる幹部はそのことを頭に叩き込まないといけない。未来を考えた良い仕事は、良い収入、待遇、評価などをもたらし、中途半端な実行は、つまらない仕事、低収入、待遇の低下、左遷、悪評価をもたらす。

いいかげん自我から離れて、社会の好循環を作ることに身をささげてもよいのではと思ってしまう。

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バトンズ


バトンズの第1回認定承継アドバイザー全6回の研修が先月終了した。先週認定証も届いた。新しいビジネスが誕生する場に立ち会えることはなかなかないのだが、まさにそういう場に立ち会っていると感じた。そのため打ち上げの懇親会で「(この場に)立ち会えてありがたいと思っている。大山社長に感謝している」と伝えた。

バトンズも10月末から新ステージに入るようだ。事業承継部門と成長支援部門、そして大企業による買いたい企業募集部門に分かれる。変化は激しいが、それは時代の先端であるという証拠でもある。もし長い間ほとんど変わらないという仕事があるとすれば、それは間違いなく衰退産業である。なぜなら、その業界に資金と人が投資されていないからである。投資がないということは、投資しても回収できる見込みがない、つまり成長がないと思われているのである。成長している、若しくはすると思われている業界には、どんどん新しいものが誕生する。

バトンズが扱うM&Aは事業承継という国家の課題の解決策の一つである。承継がうまくおこなわれないと将来の日本経済に大きな影響を及ぼす。企業が現在もたらしている価値が失われてしまうのである。それをもたらしたのは少子化と民主主義による職業選択の自由である。

同様にバトンズの成長支援のためにM&Aも国家の課題の解決策の一つである。AIやIT,ロボットなど新しい産業は将来の富を国家にもたらす。そのため積極的な支援が必要である。

今回の目玉は大企業が積極的に買いたい事業を示し、資金や組織を支援する仕組みを作ったことだ。これは結構おもしろい発想だ。

バトンズのアドバイザーとしていろんな企業に接していて気づいたことがある。売れる会社は経営者が低姿勢であるということ。買う会社も同様である。そういえば最近の上場会社の経営者は低姿勢のタイプが多い。昔のような俺についてこいというタイプはあまり見ない。又、値段にこだわるタイプも難しい。通常その値段は本人の希望価格であり、実態とはかけ離れている場合が多いからである。考えてみると仕事においても最後は人間性が問われる時代になったと感じる。

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時代の変化


時代の変化は川の流れに似ている。川の中央は水の流れが速く強い。一方岸辺はそうでもないし、ところどころ水が淀んでいるところもある。私たちは川のどの位置に立っているのだろうか考えて見てほしい。

今の会計の最先端に、仕訳の自動化がある。企業の経理の省力化、自動化は長年の懸案であった。私が会計事務所に入所した時はすべて手書きだった。仕事のメインは試算表を作ること、これが結構大変だった。元帳に仕訳を転記するのだが、元帳を集計しても1度で合うことはまれで、どこが違っているのかそれを早く見つけるのがベテランのアドバンテージだった。

その後オフコン、そしてパソコンの時代を迎え、今は貸借合うことは当たり前なので、次はその数字をできるだけ早く把握してどう役立てるのかということに論点が移った。その後ファックスOCRやらいろんな省力化の試みが行われたが、どれも今ひとつもの足りなかった。しかしITやAIの発達により、MFクラウド・フリーなどのソフトメーカーがとうとうある程度の仕訳の自動化にこぎつけた。

仕訳の自動化は、金融機関のインターネットバンキングをベースとして使うので、信用金庫・信用組合が多い地方ではその普及が遅れているが、ある時点から急激に変わると思われる。

さらに経営と会計の最先端であるM&Aについて話すと、会社の分割・合併、事業の譲渡、株式譲渡など会社法をベースに取引が行われている。今M&Aは会社法の改変に対応しながら企業の成長・承継を支えている。最近の動向は中小企業まで対象が広がっていることだ。スタイルには2種類ある。すべて自己責任のメルカリ型とトラブルが起こらないように下調べをきちっとするバトンズ型である。
 
仕訳の自動化もM&Aもどちらも時代の流れの本流を流れている。そのため変化も早く、流れに乗るにはパワーがいる。いつも同じだが、必ず否定的にみる人はいる。その理由は簡単だ。余分なこと(本人はそう思っている)をしたくないだけだ。今のパソコンを使うのも最初は皆反対していた。ダイムラーベンツが初めて車を製造した時も、町の人は市内を車が走らないように市に働きかけた。彼らは時代という流れの端で淀んでいる。時代は川の真ん中を流れている人が変化を受け入れ、推し進めていくのだ。

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