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早期コロナ終息への道筋


コロナの感染が収まらない。その中で、日本でもワクチンの各自治体への配布が始まった。しかし配布方法で気になることがある。少ないワクチンを日本全体の各自治体へ優先順位に基づき公平に配布しようとしていることだ。この優先順位をもう一度見直す必要があるのではないかと考える。優先順位はまず医療従事者、高齢者などとなっている。これに問題があるわけではなくすごくまっとうな対応だと思う。しかし、この対象者全員にワクチンを接種してもコロナは終息には向かわない。医療体制の確保のためや、重篤な症状になる可能性がある人への対応ができるだけである。

早期終息のためには発想・戦略を変えないといけない。コロナの感染者数は大都市に集中している。4月の中旬までで、東京・神奈川・埼玉・千葉・愛知・大阪・兵庫の7県で感染者総数と死亡者数の約70%を占める。コロナは基本的に人口密度の高い大都会の疾病なのだ。もし高齢者がかかったら医師も少なく医療設備もないので大変だという離島や人口の少ない市町村より、東京・大阪の様な大都会の人にまず集中してワクチンを打てば、間違いなく終息は早くなると言うことは専門家でない私でも分かる。昨年コロナを東京問題と言った総理の発言はある意味的をえていたのかもしれない。コロナは大都市の住人が日本中に旅行や里帰り,また仕事で往来することにより感染が地方へ広がった。この反対はない。ここが重要だ。しかし一方、大都市の人が他の都市へ行かないと、地方都市にとって経済的に困難な状況になることは明白だ。「行っていい、行かないで」とやっている限りは感染増加の繰り返しになる。

従ってワクチンが手に入るようになってからは、目標をコロナの終息の一点とし、他の細かいことは無視して、大都市に優先的にワクチンの摂取をするべきである。これにより大都市圏の住人がいわゆるワクチンパスポートを持つことになり,日本全体としてはかなりの死亡者数の減少と経済の早期復興の両方を得ることができると思われる。

しかし、現実にはこの感染を早く終息させる戦略の変更は大変難しい。なぜなら公平性の観点から、オリンピックの関係者へのワクチンの優先接種をしないと政府は発言している。またテレビなどで医者がそういうコメンテーターの意見に対してそれは良くないと言い放っている。その発言の裏側には、平等・公正という硬い殻がある。つまり他国と同じようにやれば批判は少ないが,自国の状況に合わせて柔軟な対応をすると必ず批判をあびるからだ。政府はこのハードルを超えられるのだろうか。現場では早速貴重なワクチンの廃棄がおこった。この国はどこかおかしい。

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働き方改革は生き方改革 Ⅱ


日本は豊かな先進国であり,民主的で平和で人が優しい国である。こう日本人である私は思っている。しかし、現実の世界におけるランキングは、私のイメージと少し違う。日本が強いと思われる経済面でも、国としてのGDP(国内総生産)は世界第3位だが,一人あたりのGNI(国民総生産)はいつのまにか20位(2018年)になっている。日本が1位を争うのは平均寿命くらいしか無くなってしまっている。強いと言われる教育水準でも総合教育水準で6位,大学・短大進学率は32位で61.46%、1位の韓国は98.38%、アメリカは94.28%だ。日本はモンゴルやクロアチアと同じ水準になる。現在のような高度化した時代に必要な人材を育てる大学院の進学率は2018年で11%で29位だ。1位はフランスで約39%だ。

また、国民の幸福度は世界で56位(世界149カ国)で主要先進国の中では最下位,男女平等ランキングでは121位(153カ国)、これも先進国ではダントツの最下位だ。多くの国民は、日本は豊かな国と思っているが,現実は違うのだ。日本は相対的な世界の貧困率ランキングでは実は15位である。普通に考える場合の貧困のイメージは途上国での映像で見るやせ細った子供達をイメージするが,今世界で起こっているのは相対的な貧困だ。つまり、世帯の所得がその国の可処分所得の中央値の半分に満たない人々を貧困世帯と言うのだ。こういう意味ではアメリカは日本よりもひどくて8位である。アメリカは豊かな人と貧しい人が共存する社会なのだ。日本も1億総中流と言われた時代からアメリカのような金持ちと貧困者が共存する国になりつつある。

ここまで見てくると少しイメージがわく。日本は本来日本人の持っている優しさや寛容性や進取の気質のある国から、何らかの障害によりそれがうまく活かせない国になっているのだ。その障害とは何だろう。私見だが,私は家庭と企業のあり方にその根本があるような気がする。つまり時代は変わってしまったのに、戦後の復興期の考え方がそのまま高齢者を中心とした社会の上層部に継続しているのだ。「遊びなんてとんでもない。男はすべてを犠牲にして仕事に取り組むべきだ」「女は家庭にいるべきだ」「上司のいうことは絶対」など今の世界情勢からすると考えられない思考をする人が社会の中枢に居座っているのだ。彼らも個人的に見るとある意味優しいのだが、判断基準に企業、成績などが個人の尊厳よりも上にくるため他人からみるとパワハラになる。空手の植草選手を竹刀でついた監督も同じなのだ。オリンピックでメダルをとることが最上位になるため、けがをする可能性があることをしても問題ない。これは完全な時代錯誤の考え方だ。これからは青山学院大学の原晋監督のような合理性が必要なのだ。

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働き方改革は生き方改革


新年度を迎える。会社も今年で設立30年、会社の寿命が迫っている。多くの中小企業が経営者の高齢化と共に老いていくのだ。なぜなら経営者あっての企業というスタイルが多いからだ。多くの経営者は社員を育てて次の世代を任せたいのだが,その期待に応えられる社員は少ない。なぜなら社員が社員であるという意識から脱することが難しいからだ。社員に経営者意識をもたせようといろんなセミナーで言われている。成功した例もあるが、現実はなかなかうまくいかない。なぜなら経営者になりたいと思っている社員は意外と少なく,そういうなら給与も経営者と同じにしてくれと思っているからだ。

会社が寿命を迎えてからの対応は3つしかない。廃業,M&A、後継者への移行だ。新しい考え方を持った人を後継者として再スタートするのは望ましいことだ。後継者への移行は取引先と社員の安心という面では一番望ましいが,現在は3割くらいしかない。しかも、後継者が親の家訓を守っていれば存続できた時代と違い,子供と言うだけでは継続が難しい時代だ。これは時代の変化と少子化の影響だ。大企業で後継者という人はいくらでも選べる場合でも実はそう甘くない。大企業でも時代に合わなくなった企業は淘汰されていく。三洋電機、レナウンも倒産した。つまり大小問わず時代に合わなくなれば倒産するということだ。

日本では働き方も欧米と違う。欧米では長期休暇は法律上の義務で罰則もあり。1ヶ月の休暇を皆楽しんでいるが,日本では1週間の休暇でもなかなか取れない。これは猛烈に働いてきた高齢者世代が、休みは悪だと考えるからだ。しかし今の若い世代はそういう会社には入りたくないと思う人が増えると企業も考えざるを得なくなる。若い人の起業が増えているのはそういう事情もある。つまりこの国では個人の幸福な生活よりも企業による個人の時間の拘束により企業への忠誠心ややるきをみるというまるで江戸時代のような思想が蔓延しているせいだ。

本来自分が生きたいように生きられるはずだが、それが出来ない。これが働き方改革は生き方改革という意味だ。今働き方が変わろうとしている。残業をたくさんする社員より,定時に帰って成績を上げる社員の方が有用だと言うことを理解しなければならない。正社員と同等の成果をあげるパートは同じ評価にならなければならない。つまり、経営者は評価が出来ないので、誰にでもわかる時間だけで評価していることによる弊害が出ているのだ。これからは働き方,つまり生き方を評価される時代が来る。

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戦略と経営資源


企業が戦略を考えるときに必ず考えないといけない問題として経営資源があります。経営資源とは、一般的には「ヒト、モノ、カネ」とか、これに「情報、時間」を足して5つあるといわれますが、最近はこれに「知的財産」を加える場合もあります。しかし中小企業は未だに「ヒト,モノ,カネ」で動いているケースが多いように思われます。

簡単に説明すると、「ヒト」とは一般的には正社員のことをいいますが、人的資源なのでパートやアルバイト、派遣社員なども含むことになります。この「ヒト」をどうするかが経営の一番重要な課題になります。しかし特に高度なスキルや判断力、指導力を持った「ヒト」はなかなか得られないものです。この優秀な「ヒト」をどうやって採用するのか?どうやって育てるのか?どうやって他社に外注してもらうのか?など「ヒト」の問題が多くを占めるのは当たり前のことです。次に「モノ」はパソコンや車、機械、工場、事務所など有形なものが多いのですが、ソフトなどの無形のものも含まれます。「カネ」は当然に資金のことですが、株式や債券など数日でいつでも換金できるモノも含まれます。

次に「情報」というとわかりにくいですが,顧客データやノウハウなどを指します。これにブランドを入れる場合もあります。企業には独自の経営スタイルによる経営管理情報が存在するのです。「知的財産」とは特許や製造方法などを指します。最後に「時間」ですが、一度過ぎてしまうと取り戻せないと言うことが特徴です。企業にとってはスピードは大変重要です。

経営資源はどんな企業においても常に足りないということが大前提です。そのためどの経営資源をどう有効に使うのかという戦略が必要になるのです。そのため誰をターゲットにするのか?どこに売るのか?どれ位のスピードでやるのか?という絞り込みが絶対必要になるわけです。そのため経営計画というものがあり、多くの企業が実行しているわけです。経営資源の中でも他の経営資源をすべてカバーできるといわれるものが一つあります。それは「ヒト」です。優秀なヒトがいれば、他の経営資源はすべて対応できると言われますが,実はもっとも足らないのも「ヒト」なのです。これは中小企業において特に顕著で、これが中小企業が低成長から脱することができるポイントにも成ります。

いかに足らないヒトを使って,足りる事業を行うのか、ここに事業計画の要諦があります。事業計画の意味を理解できない者は成長できるチャンスを失うのです。

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卒業


三月は卒業シーズンである。卒業を別の意味で言うと「門出」である。つまりこれまでの学校や家の門を出て新しい環境に身を置くことである。私は子供は天からの預かり物と考えている。従って卒業するととにかく家を出ることというのが我が家の家訓のようなものであった。これは男女とも同じで、特に女性の子供は危ないから家から出なくても良いということはない。最近男女の差別の問題が取りざたされているが、そういう意味では家庭でも会社でも一切男女差別をしたことはないと自負している。

家では子供達から他の親は家から出ないでと言っているとか,お父さんは可愛いと思っていないのではないのかと言われたりもした。会社では男と同じ仕事を女性に割り振るとやめる社員もいたし、顧客から女性では困ると言われたこともあった。しかしそれらの発言をすべて無視してこれまで男女平等を実践してきた。私にとっては,それは子供や社員にチャンスを平等に与えるということであった。

子供にとっては親に縛られずに好きな人生を選べるということであり,社員にとっては能力のある女性が男性社員と同等の仕事を与えられることは当然のことだったからである。当然に男女の区別はあると思うが,男女の能力の差は理解できない。

学歴も同様だ。大学に行っているからといって普通4年間だ。一生使える知識を得るわけではない。親の経済状況や、本人の意識の問題で行かないものも多いだろう。その後数十年も実務の世界で学ぶ。その後は同等だと考える。しかし、その後もずっと大学で差別されるのはどうなのだろう。ただし、これは理屈であって現実とは少し違うことも理解している。学歴の低いものの中にはあまり勉強が好きでない者が多いのかもしれない。その結果学歴が低いものにはチャンスがあまり与えられないことも多い。しかし、その後の努力で引上げられることは必ずある。下は上を見ていると言うが、上も下を見ている。

トヨタ自動車の奥田碩(ひろし)社長もその一人だ。その歯に衣着せぬ物言いで上司から反感を買い、ギャンブルを好んだため仲間からも浮き、マニラへ左遷される。しかし、豊田章一郎氏に「こんな所にすごいやつがいる。本社の人事部は何をしている」と言わせ,帰国となり,その後社長となった後,ハイブリッドカーのプリウスをトップダウンで発売したり,F1へ参戦したりした。能力は自分を裏切らないのだ。能力を磨くには何をすべきか考えて欲しい。

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確定申告


3月に入り,個人の確定申告で多くの税理士事務所は忙しい。しかしその内容はかなり様変わりしている。私が税理士事務所へ入所した時,まず驚いたのが,3月の多忙期の働き方だ。全員毎日午前様は当たり前,新入社員の女性も同様であった。不思議なことに皆で毎日遅くまで働いていると変な充実感があったのは事実だ。さらに打ち上げを最後の日にしていたのだが、仕事が遅れて途中から参加する社員に、皆がお疲れ様と拍手していたが,私個人は拍手されるべきは早く仕事を仕上げて先にここに座っている人で,遅くなった人は顧客にも迷惑をかけている人だと思い,変な慣行だと感じていたことを思い出す。しかし、確定申告時の異常な(働いている社員はそう思っていなかったらしいが)労働状況の影響で私の視力も数年で1.5から0.07まで低下した。それ以来メガネの世話になっている。

その後、この確定申告の状況を変えたいとチャレンジを試みた。まず実際の状況を確認した。すると、忙しいと言いながら1月、2月はあまり残業もせず確定申告の準備もしていないことが分かった。そこで1月になるとすぐに準備をすることにした。申告は2月16日からだが、資料をもらうのは別にいつでも良いからだ。そして申告書を作り,提出だけは期限が来てからすれば良いのだ。「一番最初に提出します」という文言は顧客にもアピールした。

次にシステムの課題だ。今でこそ随分と使いやすいソフトが出来ているが,当時はそうでもなかったので、いかに使いやすいソフトやシステムを導入するかという検討を東京に何度も足を運び行った。そして新しいシステムの導入となった。

さらに昔は担当者に一人の若い女性が補助でついていた。古参の社員の着手が遅いせいで一緒に3月になると連日午前様に付き合わされていたのだ。そこで補助は定時に帰るパートさんにして、特定の担当者に帰属しないようにした。これまでのやり方でやると担当者が大変なので、皆少し早く準備することになる。その後午前様が当たり前の職場が、誰も午前様になることはなくなった。遅くても午後10時までには帰る職場が誕生する。つまり、ある課題を解決するには、一つは本人の意識・考え方を変えること。二つ目にはそれを後押しする仕組みが必要で,この2つがないとうまくいかない。根性だ。やる気だと上から言うだけだけではなく,経営者は全体の仕組みの改善を常に心がけていく必要があるのだ。仕組み作りと課題克服へのモチベーションアップこの2つがないと改善はうまくいかない。

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仕事の壁


私たちは、毎日ほぼ同じ時刻に起き、会社に行き仕事をして家に帰ります。会社の仕事は毎日ほぼ決まった業務を繰り返しおこなっています。そのやり方は会社としても、働く社員としても習慣として定着しています。その中で社員は単純な仕事から複雑な仕事まで習慣化させながら、仕事のスキルを向上させていき、ベテランとなり、そしてプロとなっていきます。

このように人は習慣化することで、長く継続をして効率よく行うことができるのです。
しかし、この習慣化には弱点があります。それは柔軟さに欠けるということです。将来のために必要な新しい習慣にない仕事は面倒になってきます。従来のやり方を変えるのも嫌がります。つまりマンネリ化するのです。このマンネリ化は次のステージに向かう進歩への障害となります。原則としてどんな仕事についても習慣化はなにより大事です。習慣化が規則を生んでくれます。安心感を与え、集中力を増し、ミスを防いでくれます。この二つの相反することをどう考えていけばよいのでしょうか。

まず事実を見ると、私たちの日常、顧客の置かれている状況や考え方、それに対応する仕事は否応なく日々変化をしています。過去は正しかったことも、未来は間違っているかもしれません。なぜなら、技術は日々進歩しているし、人の気持ちや考えも時代により大きく変わっていきます。これに柔軟に対応するには習慣化を壊してやる必要がでてきます。そのためには非習慣を取り入れるしかありません。例えば部下をつける。ポストを変える。仕事の幅を変える。目標を変える。転勤させるなどさまざまなやり方があります。

社員個人としては、そのような非習慣化はかなりストレスのある課題です。しかし経営者(幹部)の仕事として、習慣化で効率を上げ、それを壊すことで柔軟性を維持し、「習慣化の罠」に陥らせないこが重要になります。レベルアップするための仕事の壁は非習慣化を取り入れることから起こってきます。新しいことに挑戦することは誰にとっても大変なことではありますが、私たちの意思と関わりなく変化は起こってきます。考えて見れば、新入社員の時はすべての仕事は未知の仕事です。でもそれを当たり前と受入れる柔軟性があるため、新人は成長し、企業の中堅を担うようになるのです。経営者(幹部)から新しい仕事を依頼されたら、社員は思い切ってチャレンジすべきです。そうしないと気がついたらこちこちの今あることしかできない△社員になってしまいます。柔軟性の発揮は社員にとっての未来への切符なのです。

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組織風土


オリンピック組織委員会の森会長の発言が問題になっている。森会長が厳しい批判を受けたが、よく考えてみると、森さん一人の問題ではなく、日本社会にはびこる社会風土のような気がする。以前地域の集まりに呼ばれて行ったことがある。「誰か意見はありませんか」というので意見を述べたら、次から呼ばれなくなった。「誰か意見はありませんか」という言葉は形だけ皆に尋ねたということで、意見を述べてはだめらしい。

ところで、フランスはコロナの感染者があまり減らないので苦労しているようだが、その中でまたバカンスがあるので、皆どこかに移動するので減らないのではという意見を聞いた。つまりフランス人というのは、自分の人生を楽しむことの方がコロナ対策より重要だと考える国民性をもっているということだ。フランス人にとり自由を奪われるのは人生を奪われると同じなのだ。

組織風土とは「組織において、共通に認識される価値観やルール」と言うことなのだが、風土と言われるだけあって長い間の共通の価値観であるため、これを変えるのは一筋縄ではいかない。今回のオリンピックの問題において、はからずも日本の多くの男性が持っている価値観と、若い世代や女性がもっている価値観の違いが浮き彫りにされた。これをチャンスとしてとらえていかないと、日本はずっと男女平等ではない唯一の先進国というレッテルをはられる事になる。

過去を振り返ると、明治維新では、1000年以上続いた武士の存在やまげというカルチャーも明治維新で一掃されている。喪服が白から黒になったのも明治だ。西洋の列国に追いつくために、若い明治政府の指導者が一気に変革してしまった。オリンピック憲章には「男女平等、環境問題」についても明確に表明されており、最近話題の国連で開かれた主要国によって決められたSDGs(持続可能な開発目標)でも、2030年までに達成すべき17の目標として、「ジェンダー平等の推進と女性の地位向上」という項目がある。つまりいまや女性の地位向上やジェンダーの平等というものは、世界の共通の価値観として認識されているのだ。

一方日本は、まだ夫婦別姓も実現できていないし、従来の高齢者中心の価値観からも脱却できていない。しかも高齢者の人口比率が高く、若い人の意見が受入れられない。ある意味この状況は悲劇だ。これを変えるには世代交代を待っていると手遅れになってしまう。世界の価値観に追いつくための強いリーダーシップが必要だ。

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バランスが大事


ワンピースという漫画がもうすぐ終わりそうだ。現在単行本で98巻まで発行され、最後は100巻を超えそうだ。私が学生の頃漫画はまだ子供が読むものだというイメージが強く、それまで勉強で頭を使ったので、頭休めにベンチで漫画を読んでいると、見知らぬ年寄りが「若い者はそんなものを読まずに本を読め」と言い放って通り過ぎた。言いたいことはわかるが、すれ違った他人の状況は理解せず、ある意味善意で言ってくる。本人も仕事が終わって酒を飲んでいて、見知らぬ他人から「酒ばっかり飲んでいないで仕事をしろ」と言われたらどう思うのだろうか?

同じように「?」と感じるのが森元首相や二階堂幹事長だ。女性やボランティアの人々の思いや状況を理解せず話しをする。国のトップの感覚の鈍さにはびっくりする。これはいわゆる老害なのかもしれない。しかし、ここでも女性と同じように決めつけは厳禁だ。老人でも素晴らしい人はたくさんいる。日本はバランスが悪い国なのだと私は理解する。社会において男性と女性のバランスが悪い。老人と若者のバランスが悪い。仕事と家庭のバランスが悪い。家庭における夫と妻のバランスも悪い。このバランスの悪さがここ数十年の先進国の中での成長率の低さ、国民の幸福度の低さの原因の一つと思われる。

日本は終戦後に世界でも例を見ない経済成長を遂げた。その特異な状況におけるバランスをまだ引きずっている。時代に合わせて変化させないといけないのにそのままだ。つまり過去の成功体験にいまも制約されているのだ。システムとしてバージョンアップをしていないものが多いのだ。その足かせはあらゆるところに存在する。

日本人の基本的な精神は「和をもって尊しとなす」と言われる。しかし、実際には戦国時代あり、海外との戦争もありで、実は平和を享受する今ほど争うことを避けている時代はないのではないかとも思う。組織委員会の森会長の発言があったときも同じ組織委員会に属する著名な方達が何の声もあげなかったのは、そういう理由によるのだろう。私も同じ事をよくしてきた。そこで怒るべきだと思っても、どうせ変わらないだろうからやめておこうと、その場の雰囲気を大事にしたことも多い。

しかし、よく考えればそれは今だけの話しであり普遍性がない。欧米のように形だけ社外取締役をいれても、結局それを活かせない。問題は重大だ。本音を言い合えることはどれだけ重要か理解しないといけない。本音の話し合いは人を、社会を変える。

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ウナギ


ウナギと聞くと、なぜか蒲焼きのにおいが脳裏に浮かび食欲が出てくる。旅先では鰻屋の看板を見ると、少し高くても旅先だし食べてみようとすることも多い。日本人にとってウナギは特別な食べ物だ。江戸時代からウナギは庶民の好物だったようで落語にもよく登場する。最近の新聞にウナギの稚魚今年も豊漁と出ていた。稚魚は前年比で4割安ということで、すっかり高級魚になってしまったウナギが少しでも安く食べられると今から楽しみだ。

ウナギの産地としては、一番は鹿児島県、2番が宮崎県、そして愛知県、次に静岡県となっている。しかし、日本人が食べているうなぎは、その約6割が輸入であり、中国が最大の輸入元で、スーパーで売られているものが多い。4割が国産だが、天然物はほんの0.3%程に過ぎない。後は養殖物だ。

鹿児島県は鰻池という池もあり、池田湖には体長1.8メートル、20キロのおおうなぎが生息している。宮崎県西都市には、日本一ウナギを焼くという「うなぎの入り船」という店があり、店前の神社には入店を待つ人が並んでいる。愛知県は「ひつまぶし」という独特の食べ方がある。静岡県は浜名湖のウナギは昔から有名だ。

ウナギを食べに行っていて気がついたことがある。それは産地と提供する名店のある場所が異なることが多いということだ。例えば千葉の成田山の門前にはウナギの店が多い。しかし、それはその近くで取れるからではなく、食べる人が多いからである。埼玉の川越にも鰻屋は多いが街道沿いだったためらしい。今の東京にも鰻の名店が数多くあるが、それも江戸の人が多く食べたからである。考えてみればしごくまっとうな理屈である。

ちなみに海外でもウナギを食べる国は意外と多いが、食べ方が燻製とか揚げるとか随分違う。私はフィリピンでよく食べていたが、ぶつ切りにして揚げていた。
 
実はうなぎの旬は夏ではなく、10月から12月くらいなのだが、江戸時代に平賀源内が夏にお客が来ないといううなぎやの窮状を救うために「土用の丑の日にウナギを食べると夏を乗り切れるスタミナがつく」という話しを作ったことにより夏に食べるようになったと言われている。これは天然うなぎの場合で、養殖うなぎの場合は、夏においしくなるように工夫をしているようだ。あー、四万十で天然の鰻が食いたい。

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