コラム

違和感


コロナは相変わらず感染者の増加が続いているが、テレビの報道で違和感を感じることが多い。まずゴーツーキャンペーンについてだが、最も多い話しは「それ自体は良いのだが、今ではなく、コロナが終息してからすべきだ」という話しだ。それだけ聞くともっともだと思ってしまうが、実はコロナはいつ終息するのかという前提が不明確だ。それにまずコロナはなくならないだろうと言われている。だから「withコロナ」なのだ。

コロナはこれまでのインフルエンザと同じように永遠に終息せずに毎年発生するようになるだろうと言われている。人類が過去に撲滅した感染症は天然痘だけなのだ。そういう状態で終息を待っていると日本の企業のいったい何割が倒産するのだろう。国の税収も半減するかもしれない。そうなると年金、社会福祉などの国のコストなどはどこから捻出できるのだろう。だからこれから人の移動をある程度自由にしながら、どうやれば感染リスクが低く抑えられるのかチェックしながらやっていくことになる。経済より健康第一といっている人の多くは年金生活の高齢者か働いていない主婦達で、自分の生活ができるからそう言っているのだが、将来生活できなくなるとどうなるのだろう。

それに加え注意しないと行けないのは風評被害だ。東北の津波による原子力発電所の放射能汚染については、現在でも福島の食材について輸入規制をしている国は多い。厳格な管理をしている医療機関でも院内感染は起きる。しかしそれにもかかわらず、もし感染者が出れば風評被害で倒産すると思っている経営者は多い。それなのに営業しないとやっていけない。このストレスはいかほどのものだろう。

コロナに関しては、国はあまり信用されていない。対応が後手後手で、いまだにPCA検査さえ十分に出来ず、それなのに誰も付けないアベノマスクをまた配布するという話しも聞こえるからだ(これは延期された)。違和感だらけだ。第1次感染では、なんとなく感染者は減り、今回の感染者の増加に対して前回使った緊急事態宣言はその経済に与える打撃が大きすぎて使いたくないと言うことのようだが、それなら何をしてロナの蔓延を防ぐのかよく分からない。小池知事のように毎日「不要不急の外出はお控えください」とお題目を唱えるだけでは効果も限定的だろう。今でも思い出すが、テレビで著名な医者が本当はできないからなのにPCA検査を皆にする必要がないと言っていたことを思い出す。本当はできないからそうせざるを得なかったのだが、そうはいわない。本当のことを言えば、先に進むと思うのだが、いまだに国は「知らしむべからず、よらしむべし」なのだろうか。時代錯誤がすごい。そこに違和感を感じる。

渕上コラム「変える言葉」
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災害


日本列島は災害の多い島だ。まず地震がある。時々海外のスポーツ選手が日本に地震があるので来るのが怖いと言っているのを聞くと、何で?と思うことがあるが、世界のマグニチュード6以上の地震の約2割程度が日本で起こっていると聞くとなるほどとも思う。これはプレート(地球の表面を覆う岩盤)が4つも日本列島の下にあるためらしい。海外ではほとんど地震の起こらない地域もある。そのため石で出来た数千年前の遺跡が残っているのだ。

次に津波がある。これも海に囲まれている以上地震が起きれば避けようもない。それに今月多発した集中豪雨もある。日本列島に高い山が多いからだが、もし山がなかったら雨はあまり降らず森に覆われることもないらしい。また台風もある。つまり日本は基本的に災害列島なのである。そのため外国に較べて日本人の持つネガティブなマインドはこの常に災害に見舞われるという気候・風土が関係していると説明する学者もいる。しかし、逆の視点もある。だからこそ豊かな森、温泉や多くの食材に恵まれた豊穣の国になっているというものだ。モノには必ず二面性がある。

実は災害に対する対処法は国によってかなり違う。3.11の東北地方を襲った津波の跡を見に行くと、海は見えず、コンクリートでできた高い堤防しか見えない場所もある。これで安全になったと国は言うが、別の見方によると、津波という災害を受け街は消滅し、その後の防災対策によって海が消滅したとも言える。そんなところに誰が住もうとするだろうか。現実、今はお寺や公園になっているだけだ。ハワイは太平洋のど真ん中にあり、世界中の津波の被害を受けやすいが、コンクリで覆われた海などはない。自然をコントロールしようとするのではなく、自然との共存の姿勢が明確で、人々の住居は高台の方へ移り、低地には店などの諸施設が残っているが、いざ津波が起こると逃げる道路が整備されている。

日本のようにいくらコンクリで固めても、将来大きな災害が起こると「これまで経験をしたことのない未曾有の**」というような表現がされるのだろう。未来永劫災害は0にはならない。もし住民のためでなく、土木業者のためなら本末転倒だし、土木業者も造るならもっと役に立つものを作りたいと考えているはずだ。なぜなら建造物はずっと残るからである。梅雨は明けるが、具体的な対応策は示されるのだろうか。国民もいいかげんに0でないとだめだというような考えを変えて行かなければいけない。この世に0というものはないのである。

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奄美大島観光


北の県が続いたので、今回は南の鹿児島県の奄美大島について話そう。鹿児島県の奄美諸島の主要な島だ。ここも私のお薦めの場所だ。初めて行くまでは、奄美はハブの島というイメージがあり、少し怖いなと思っていた。しかし、実際に行った後のイメージは宮崎駿監督のアニメ「風の谷のナウシカ」に出てくる腐界のイメージだ。知らない人のために説明すると、巨大文明が崩壊してから1000年後空気も汚染され、世界には有毒な瘴気をまき散らし巨大な蟲達が住む腐界という菌類の森が広がっていて、人類はまだ汚染されてない狭い地域に住んでいるという前提だが、実はこの腐界の地下できれいな空気と水が作られていたという一見害のあるようにみえるものが、実際はその自然を守っているというものだ。

奄美を訪れたとき、ここはまさしく風の谷と腐界だと感じた。実際に今でもハブは森の守り神で、奄美大島の人口7万人の4倍程度生息していると言われている。ハブのために開発が遅れた島は、その自然が守られ、アマミノクロウサギやオサガメなどの絶滅危惧種が今でも多く生息する。その結果、沖縄のヤンバルクイナの森と、西表島と一緒に世界自然遺産に登録申請できる自然が残っている。(今、コロナで申請延期)

奄美大島には沖縄に較べるとより自然な海が存在する。特にヤドリ浜がお勧めだ。そこでは野生のウミガメにかなりの確立で会える。立派なホテルが一軒とバンガローとキャンプ場がある。近くのホノホシ海岸に行くと「ハブに注意」という看板があり、ハブが気になってキャンプができないという人以外には良いと思う。テレビでハブは怖いという情報を流しすぎなのだが、実はハブによる死者は毎年ほぼ0なのだ。ほぼというのは何年かに一人くらい死者が出るためだ。ハブより強力な猛毒をもつウミヘビでも噛まれて死ぬとニュースになる位だ。つまり、世の中で危ないと言われるものは意外と危なくなく、危ないと言われないありふれたものが実は危ないのだ。例えば毎年人類を約70万人殺しているのは蚊である。危ないライオンは年に20人程度、また泳ぐときに気になるサメは10人以下である。また蚊の次に人間を殺しているのは実は人間であり、45万人程度になる。

これで分かるのは、マスコミで流すのはニュース映えする普通でないもので、それを見ると恐怖心を持ってしまうが、実はあまり危険ではなく、普通の生活の中の最もありふれたものが一番怖いと言うことなのである。ハブを気にせず奄美を楽しんで欲しい。沖縄と違い「三密」はない。

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秋田観光


今回は秋田について話す。実は東北の中でも個人的には秋田の酒と食べ物が特に好きだ。じゅんさいやハタハタ、とんぶり、比内地鶏、きりたんぽ、稲庭うどんなど個性のある食べ物が多い。日本酒については、秋田人がそんなに酒を飲むイメージはないと思うが、一人あたり消費量は日本で2番目である。一位は当然に酒どころ新潟だが、秋田は2位だ。3位は山形、4位は福島(平成29年国税庁発表)と東北各県は常に上位だ。日本酒は米と水が良くないとダメだが、東北はおいしい水と米に恵まれている。

また秋田というと秋田美人が有名だ。これは秋田出身の小野小町の影響ともいわれるが、秋田に美人が多いのは、関ヶ原の戦いの後、当時茨城にいた佐竹氏が秋田に送られるときに領内の美人を皆連れて行ったという説と、地理的に近いロシア人との混血により色が白いという説がある。確かに日本一日照時間が少ない県なので色白の女性は多くなるだろう。それに秋田県は人口あたりの美容室の数が日本一であり、身だしなみをちゃんとするということも関係しているのかもしれない。
 
さて秋田の観光というと、私は温泉を最初に薦めたい。まず必ず秘湯のキャンペーンポスターになる日本秘湯を守る会でも人気ナンバー1の人気温泉、乳頭温泉郷の鶴の湯だ。私の友人はこの湯に入る前に杖をついていたのに、入浴後杖をつく必要がなくなったと話していた。乳頭温泉郷の他の温泉も個性的だ。次に日本一強酸性の玉川温泉、効きの湯として癌に効くと来る人もいる。またここは天然の岩盤浴が出来る。皆ムシロを引いて横になっている。そのすぐ側には新玉川温泉もある。中でも珍しいのが日本三大霊場の一つ川原毛地獄がある川原毛温泉だ。ここは川原毛大湯滝から流れ下る滝壺が露天風呂になっている。秋田は秘湯だらけなのだ。

また観光地として抑えないといけないのが男鹿半島と角館だろう。また青森県の時に話した白神産地の半分は秋田側である。男鹿半島には、ユネスコの無形文化遺産にあげられているなまはげがあるが、実際に見るとかなりの迫力で、小さな子は本当に縮み上がると思われる。最近は母親から来ないでくれと言われることも多いらしい。これも子供が可哀想とか、嫌なことはさせないという最近の風潮だろう。200年以上続いてきたユニークな行事もお母さんにはかてないということだろうか。ただ、世界中に似たような行事はあり、子供達の健康を祈ったり、子供が素直に育つように様々な文化ができていったのだろう。文化の継承より、我が子の大事さなのか。文化にはその時の人々の好き嫌いでははかれないものもあると思うがどうだろうか。

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青森観光


さて今日は東北の青森県について話そう。青森県の観光というと弘前公園の桜と紅葉、奥入瀬渓谷と十和田湖の新緑と紅葉、国民保養温泉指定第1号の酸ケ湯(すかゆ)温泉と八甲田山、日本三大霊地の一つ恐山(後の二つは立山と川原毛地獄)と仏ヶ浦、マグロで有名な大間のある下北半島、世界遺産のブナの原生林で覆われた白神山地などがある。それも良いが、個人的に好きなのは津軽三味線である。

青森に行くときは必ず三味線を聴く。沖縄の三線(さんしん)もいいが、個人的には津軽三味線の方が魂に響く。ちなみに三味線と三線の違いは、三味線はイチョウ型のバチで弦を弾くが、三線は人差し指に義甲(爪のようなもの)をはめて弾く。又、三味線は犬皮や猫皮を胴の部分に使うが、三線は蛇の皮を使うなどの違いはあるが、もともと三味線も沖縄から伝わったものらしい。

また青森県のことで良くある勘違いが津軽海峡冬景色の歌詞から生まれている。「ごらん、あれが竜飛岬 北のはずれと」という歌詞だが、北のはずれは竜飛岬ではなく、下北半島の大間崎だ。ただこれは推測だが、津軽半島の北のはずれは竜飛岬なので、津軽半島の北のはずれといったのだろう。しかし、この歌を聞いた多くの人は、龍飛崎が本州の北の端だと思い込んでしまったのだろう。ネットを検索しても勘違いが多い。下北半島の大間崎に行くと、「ここ本州最北端の地」とちゃんと碑が建っている。ちなみに、竜飛岬のある三厩村は北緯41度12分、大間崎は北緯41度32分である。

食物について語る。場所により当然に食べ物は異なる。かっての南部藩を見てみると、ヤマセが吹き、稲作は厳しいことから小麦粉、そば粉、雑穀などを使ったせんべい汁が有名で、にんにくや鯖、そして馬肉もある。津軽地方は、古くから穀倉地帯だったため、米と餅を使った料理が多い。けの汁(粥の汁がなまったもの、大根などの野菜と、ふきなどの山菜、油揚げや豆腐を細かく切り、味噌や醤油で味付けしたもの)、干し餅、りんご、ヤマトシジミなどがある。下北半島は、気候は厳しいが、クロマグロ、ホタテ、ふ海苔、昆布など海の食材が豊かである。最後に沿岸地域は、魚介類が豊富で名前を聞いてびっくりしたウニなどの入った高級品「いちご煮」が有名である。

さて少し旅行気分がでたところで、寒い強風の吹く日に、居酒屋で津軽三味線を聴きながら、大間のマグロとホタテを食べるとイメージする。そして飲むのは当然に青森の田酒(でんしゅ)か陸奥八仙、豊盃でも良い。思わず「うー」とうなってしまう。

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ゴーツーキャンペーン


政府がコロナの緊急事態時に予算措置をしたゴーツーキャンペーンが8月以降来春まで行われる。当時野党が批判していたが、コロナがある程度収まった今とすると、後のことを決めていたことは正解と思われる。現実にどう支払われるかはこれからの事だが、対象となる国内旅行について話しをする。

私も世の多くの人と同様に大の旅行好きである。そうなったのは、旅行することが当たり前ではなかった時代に生まれたからである。当時の修学旅行は何も知らない学生に夢を与えるのに十分なインパクトある行事だった。今の様に家族で旅行できる時代になるとその意義は薄れるが、今でもなかなか旅行できない家庭もありそうなので、なくすのはどうかと思うがやり方に工夫は必要と思われる。

私の学生時代はリュックを担いでユースホステルを利用しながら旅行する貧乏旅行だった。時々はヒッチハイクもした。最近は当時に旅行した場所をほぼ半世紀経って再び訪れることが多い。その時に気がつくのは観光地の整備である。観光産業は21世紀の重要産業と言われるが、この半世紀に多額の投資と人材の投入が行われたことは旅をすればわかる。コロナという一種の災害によりそれらの投資と人材が失われるとするとそれは国家の損失である。国にはこういう時こそ多くの関係者を助けて欲しい。

実は日本という土地はいくつかの奇跡により出来たらしい。四季、高い山、多い雨など特徴は多い。アメリカに行くと雨が少ないので多くは灌木が茂っているだけだ。日本の中で私が特に好きなのが東北地方だ。今日はその東北について語ろう。

東北の良さはまず桜だ。日本人として桜は特別な木だ。もちろん私の住む地域にも桜の名所はある。そしてきれいだ。しかし東北の桜は、私に私は日本人であると言うことを感動をもって再確認させてくれる。日本人として生まれたからには是非桜の季節に訪れて欲しい。有名な弘前城の桜、角館のしだれ桜、北上展勝地など見所は多い。

次に素晴らしいのは温泉だ。私も温泉県に住み、若いときに「日本の温泉3000」という本を持ち、日本中の温泉を巡って50年経つが、東北の温泉の個性の強さには驚かされる。有名なところで言うと、青森の酸が湯、谷地、蔦、嶽、下風呂温泉など、秋田の不老不死、乳頭温泉郷、川原毛温泉、玉川温泉など、岩手県の花巻温泉郷、瀬見、大沢、つなぎ温泉など、話すとキリがないので今回はここまでとする。

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海外旅行について


コロナの蔓延で個人的に残念なことがある。それはこれからしばらく海外旅行が自由にできなくなるということである。私が学生の頃、沖縄は一番近いアメリカだった。日本から他の国へ行くのにほとんどの国でビザが必要だった。学生だった私はまさか自分が将来海外に行くとは想像できなかった。そのため英語の勉強には不熱心であった。それからほぼ半世紀近くたち、日本は経済的発展などにより世界でトップクラスのビザ免除国となった。

私は事務所の社員旅行で初めて台湾に行くことになり、大きなカルチャーショックを受けることになる。それから私は個人としても会社としても旅行はできるだけ海外へ行くよう奨励してきた。それは海外旅行がその時代を生きる人間として一番エキサイティングなことだからだ。有史以来人類が自由に世界を旅行できることはなかった。

江戸時代の末期に日本を訪れた多くの外国人の紀行文が記されているが、海外ほど人間の持っている知的好奇心を満足させるものはない。民族、文化、食事、建築物、歴史、芸術、現地の人とのふれあいなどどんな人でも満足させるものがある。江戸時代末期に日本に来た外国人が一番びっくりしたのは毎日風呂に入って清潔だったことと混浴だったらしい。同時期に中国・韓国を旅行した外国人が、のみシラミで不潔きわまりないといっているのと対照的だ。日本人の風呂文化は筋金入りだ。一方パリのヴェルサイユ宮殿にはトイレがなくて、皆窓から排泄物を捨てていたということも有名だが、国による価値観・慣習の差に驚く。

日本人ももともと旅行が好きであった。お伊勢参りは江戸時代に庶民に与えられた自由旅行だ。紀貫之の土佐日記は土佐(高知)から京都に帰る途中の出来事を書いた紀行文だし、松尾芭蕉の奥の細道も有名だ。彼らは海外に行けない時代に生きていたが、もし世界中自由にいける時代に生きていたら、どんなに素晴らしい紀行文を書いたのだろう。それを読めないのは残念だ。

よく大事なものはなくなってからわかるというが、自由に世界を旅行できた私たちにとって、これから自由に行けなくなることはどんなにつまらないことだろう。人口がどんどん増え、自然がそれに伴い消え、人間と動物の距離がより近くなるにつれ、感染症はこれからも発生するだろう。人の移動ということが当たり前のグローバルな世界をどうすれば維持できるのか、専門家と政治家のリーダーシップを期待したい。

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新しい働き方在宅ワーク


今コロナをきっかけに新しい働き方が注目をあびている。それは在宅ワーク(テレワーク、在宅勤務とも言われる)だ。在宅ワークは、家で働くか会社で働くかということだけではない重大な働き方の変革を秘めている。

在宅ワークに関しては、アメリカでは日本の10年先をいっていると言われている。日本ではコロナを契機に13%から27%に倍増した。(日経新聞)特に東京では49%となった。これまでも世界ではインフルエンザなどの感染症や車の排気ガスなどの地球温暖化対策のための通勤を減らすための行政の指導により、またアメリカのように時短勤務を嫌い、自分のスタイルで効率よく仕事をするための方法として、テレワークは進歩してきた。

テレワーク導入のメリットは次のようなものがある。一に感染症の蔓延時や災害時に通常と同じように仕事が出来ること。二に通勤や移動の時間を有効利用できること。三に海外や他の地域にいる優秀な人材を活用できることなどがある。デメリットとしては、一に情報漏洩のリスク、二に上司の目がないためサボってしまう(これには評価というベースが絶対必要条件。日本での今回のケースでは上司から言われないように頑張り、逆に生産性があがったという話しも聞いている)。三に部下のマネージメントがしにくい。四に部下が組織から孤立してしまうなどがある。

一口にテレワークと言っても国の事情や働く人の意識の差などによりかなり違っている。アメリカでは、優秀な男性ほどテレワークにより仕事をすることを選ぶ人が多いと言われている。またフランスでは週に1,2日のテレワークが人間関係の構築や孤立を防ぎ、生産性を上げるのに最も良いということがデータにより確認されている。それに加え、2017年に「つながらない権利」という法案が成立し、仕事時間外に上司や同僚、取引先との仕事のメール等に出なくて良くなった。

一方、日本では家庭のIT環境、エアコン、個室などのインフラなどが欧米に較べまだ遅れており、テレビで見ているリモート出演者の後ろから子供が良く出てきて苦笑している。そこで最近は営業自粛していたカラオケ店を利用して仕事をする人が出てきた。海外でも駅周辺にそういう施設があり、そこで仕事をしながら飲食物を注文しているらしい。必要は発明の母であると感じる。オフィスはこれからどう変化するのか?積極的に関わっていきたい。

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10年後のあなたへ


未来を考えるということは、実は当たり前のことではない。私が引き受けた二人のフィリピンの僻地に住んでいた子供達は、日本の小学校に行き、日本語もある程度話せるようになった時によくこう言っていた「先生の言うこと、意味分からん。将来の夢を書けというけど、何それ!」つまり発展途上国にいたその日暮らしの子供達にとって将来を描くことは普通にできることではないのだ。彼女らは10年経っても今が楽しければそれで良いという。

一方、先進国である日本でも将来の夢を描けない人が増えているような気がする。それはもちろん物質的な貧しさが理由の人もいるだろうが、それだけではないような気がする。逆に物質的に豊かになり、食うことに困らなくなったため、今のままでいいやという精神の貧困からなのかもしれない。はっきりしているのは、人は未来を描くからチャレンジをするのだ。サッカーの三浦知良、最近では久保建英など、若いときから言葉も通じない海外に出かけているのはそのためだ。

よく最近の社員は、出世したいという意識が欠けているという話しを聞く。出世して多少給料が上がったとしても責任が重くなり、トータルで自分にと損と考えるらしい。つまり、自分の能力をより発揮してより多くの人の役により立つ立場の選択よりも、気楽さが人生の優先順位になるらしい。彼らの10年後の理想の自分は、今のままと変わらないこと。私は基本的に個人の自由を最大限に認める。従ってそれもありだとは考えるが、それが普通のことになるのは、日本の将来を考えると少し怖くなる。考えてみてほしい。今の自分と10年後の自分が能力が同じで、同じ仕事をしているってかなり怖い。将来どうなりたいかがまったく考えない人間が部下にいたらどうしよう。仕事において成長を見せない人間、成長したいと考えない人間、言えるとしたら、そういう人と私はつきあいたくない。一般的に老人がおもしろくないのはそういうところだろう。老人のような思想をもった若者が増えているのだろうか。

自分のことを考えてみた。10年後の私に会うとしたら、どういう自分になっているのだろう。いやなっていて欲しいのだろう。10年後に喜んで会うとしたらどういうことをこれからするべきなのだろう。そうやって考えてみていると、私は結構チャレンジングな面白い人生になるように目標を立てて実行していきたい。アジア立命館太平洋大学の出口学長の言っていた「人生はプラスマイナス0で考えるのではなく、絶対値で考えること」という言葉が身にしみる。絶対値の大きな人生を歩みたい。

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締結式


先週M&Aの譲渡契約締結式を行った。売り主様に立派なホテルでしていただき、円満で将来性を感じる式であった。その理由はただ一つ、売り主も買主も人間的に対応したという事である。互いに信頼感をもてたのである。

今はコロナウィルスで未曾有の不況になりつつある。こういう状況下でこれからどういう形のM&Aが行われるかということについてバトンズの大山敬義社長が対談でこう述べている。「好況期のM&Aは、同業の買収によりさらなる増収を目指して、大きな融資を受けて大きく投資する。一方、不況期は資金も豊富に使えないし、今回の宿泊業のように一つの業種のみであるリスクに対し、他業種の買収をリスクヘッジとして行われることが多い。」そういう点でも、今回の売り主は通信業、買主は電気工事業で、互いに通信や電気の仕事をするときは外注で頼んでいる分が自前で出来るようになる。かつ通信はまだ成長の余地が残されているということで、好況期と不況期の両方のM&Aのやり方を持っていることになる。また売り主は60代後半、買主は40代と年齢的にもぴったりであった。優れた成果が期待される。

ある程度の場数を踏むと、売りにくい又は売れないタイプの企業が分かるようになる。まず売りにくいのは数字がわからない経営者を有する企業である。中小企業の決算書は、基本的に実態を表してはいない。例えば減価償却をしていない、在庫が正しくない、回収できない売掛金が載っている、資産の帳簿価格が全く違う(例えばゴルフ会員権、2000万円で載っていても、実際は50万円でしか売れない)など様々だが、すべて決算が税務中心で行われている。大企業のように税務の要件がどうであれ、取れないと判断されれば、すぐ貸し倒れ処理をし、価値が下がれば減損会計を行うという企業の内容を株主へきちっと報告しようという発想はない。純資産が3000万円あるので3000万円以上で売りたいと言っても、実は純資産は0だという場合もあり得る。ここでまず自社の企業評価ができないと買主とは大きな齟齬が生じる。

次に、お金を優先する経営者のいる企業、もちろん長い間の経営の結果としての企業の適正な幅の中の売却価格を主張することは当たり前で問題はない正当な行為だ。しかし、とにかくこの値段でないと売らないと言われると、ほぼ売れないケースが多い。仮に売れても、買った企業の経営は大変だろう。しかし、若いコンサルがお客様は神様で動いているケースも多いようだが、私には買った後の継続が一番である気がして、納得できない。

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